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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年05月22日(火) 炭を焼く人 山あいの村に父の知り合いの老夫婦が住んでいる。旦那さんの職業は炭焼きだ。ただ、炭焼きが職業と言っていいのかどうか分からない。確かに山で焼いた炭を売って金銭的収入を得ているのだが、他に様々なことをしているからだ。
たとえば食べる米は何枚かの狭い田んぼから得たものだ。味噌も大豆から作る。たまごを取るためにニワトリも飼っている。炭の焼けない冬になれば、老人は散弾銃を持って山にはいるが、取ったイノシシは食べることなく業者に渡され、たまにキジ鍋を食べるぐらいだという。老夫婦が村の農協でする買い物は、塩や衣服ぐらいに限られる。
老人の焼く炭は評判が高い。と言ってもしばらく前までは、使っているのは県内の観光客相手の店ぐらいで、それほど有名ではなかったらしい。
老夫婦の息子三人は都会へ出て行って居を構え、この村へ戻る気もないらしい。もとより戻ったところで職もないだろう。だから、老人の炭焼きの技は、伝承されずに途絶えるかに思えた。だが、意外な後継者が現れた。
その青年は、以前IT関係のベンチャービジネスを手がけており、私もその社名を聞き及ぶほど成功していたが、ITバブルの崩壊によって敢えなく倒産してしまった。青年は妻子と別れ、借金取りに追われるように全国を無銭旅行で転々とするうちに、この村へ迷い込み、老夫婦の世話になったらしい。
青年の不思議なところは、そのまま居着いて炭を焼くようになったことだ。
修行の甲斐あって立派な炭焼きになった青年は、本物の炭はもっと価値があってしかるべきだと考えた。元はと言えば事業家であったのだ。師である老人は良い顔をしなかったが、青年は炭を焼く合間を縫って、師弟の焼く炭の販路を地道に拡大していった。ねばり強い営業の結果、京都の料亭や東京の焼き肉屋に使われるようになった。それが契機となり、彼らの炭は引っぱりだこになった。もとより炭の品質は良いのである。
この成功によって、再び妻子供と暮らせるのではないかと希望を持った青年だったが、そうすんなりは行かなかった。韓国や中国からの輸入炭が、より安い価格で青年の市場を奪っていったからだ。良い値で買ってくれる取引先は、細る一方だという。かといって、もとより薄利多売のために大量生産できるものでもない。青年の悩みはつきない。私が訪れた日も、青年は街の誰かに相談に行っていて不在だった。
自分で入れた茶をすすりながら、「あんらー(青年)もまだまだなぁ」と老人は私に言った。それを聞いて私は、まだまだなのは青年の炭焼きの技術かと思ってしまった。やはり代々受け継がれてきた炭焼きの技術は、数年で受け継がれ得るほど易しいものではなかったのか。そう尋ねると、
「違うせぇ、おらあの若い頃にゃ炭を買う奴なんていねぇ。皆自分で焼いたもんだ。炭を売るようになったは、ここ三十年ばかずら。炭は誰でも焼ける」
では青年には何が足りないのか。
「東京の人と同じに稼ぎたけりゃ、東京で人と同じに働けばいいずらい。ここで暮らしたけりゃぁ、ここの稼ぎに慣れなぁな。山で暮らして東京の稼ぎを欲しがりゃあ、てきなく(辛く)なるずら」
自給自足が原則の老夫婦の暮らしに、あまり現金は要らない。一番金を使うのが、子供や孫がやってくる正月の買い出しだそうだ。このときばかりは肉や魚を買うという。老夫婦は都会の息子たちから仕送りをしてもらうどころか、逆に所帯を持った息子たちに少ない年金から仕送りをしているのだ。「都会の暮らしはてーへんだから」と言って奥様が笑っていた。
遠い祖先から受け継がれてきた炭焼きの技術を目にすると、私はどうしても職人の技や、その精神性に思いをはせてしまう。だが、もとより炭は生活のために焼かれてきたものだし、この老人とて息子を都会の大学にやるために炭を焼いてきたのだ。そこで稼ぐ額も使う額も少ないと侮ってはいけない。青年の望みよりはるかに小さい額であるが、老人は炭焼きという事業を成功させ続け、なにより望むものを手に入れ続けてきたのだから。
「欲のあるもんが焼いた炭から、欲の匂いがしてな、料亭やらなにやら不味いものばかりさ」
誰に言うでもなく老人がつぶやいた。私は茶の礼を言い、奥様がくれると言った野菜を固辞して車に乗り込んだ。五月の空に、炭焼きのかすかな煙が上っていた。
・・・
今日の夕方、面倒なお客さんからの問い合わせの電話を上司がさばいていました。ちょうどそのころ、僕はまっさらなコンパクトフラッシュカードにOSをインストールする作業をしていました。MBRにブートコードが書かれていないのが問題で、悪いことにKNOPPIXもsyslinuxも歯が立ちません。
僕は早く作業を切り上げて、たまには峠の向こうのAA会場に行こうと思っていました。一方で、今日は技術担当者が僕しかおらず、僕が帰ってしまうと上司が孤立無援になることも心配していました。これが毎週出ている会場だったら、とっとと帰るんですけどね。そうするためには、それ以外の日が大事ですから。
ちょうどDOSのFDISKを使うとうまくいくことを確認し、上司を見捨てることを決意した僕は、すこし緊張感が薄れていました。
さあ、これが終われば Windows を起動して、タイムカードをついて逃げ出せる・・・と思ったのですが、なぜかパソコンの真っ暗な画面に
Missing Operating System
の文字が・・。あああ、間違ってハードディスクの Windows を削除してしまったようです。
パソコンが動かなければ何の気晴らしもない仕事場で、ひとりぼっちで Windows のインストールをしながら、気の向くままに想像(妄想とも言う)を巡らせた結果できたのが、今日の話です。だから炭焼きの青年も老夫婦も、僕の頭の中にかしかいんです。つまらないフィクションでごめんなさい。
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