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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年04月26日(木) 病気とは(異常と正常の間)その2 緑内障とは、視野の欠損が増えていって、やがて失明する病気です。
視野が欠けていることを本人の自覚していなくても、視野検査をすればどの部分が見えないかは分かります。それで客観的な診断が下せます。過去のデータと比べれば、病気が進行しているかどうかも分かります。
眼圧の高さも判断の手がかりになります。たとえ視野の欠損がなく、眼圧が高いだけでも、頭痛に悩まされますし、将来緑内障になる危険がありますから、治療が必要です(眼圧が低いまま進行する緑内障もあります)。
また、眼底の凹みも、眼科医がペンライトでのぞき込めば見えるそうです。
客観的な判断基準がいくつもあるのです。
緑内障という医学モデルがはっきりしていて、そのモデルに当てはまれば病気です。その人の社会的立場によって、病気の診断が左右されることはなく、一国の首相であろうが、無職の青年だろうが、緑内障になれば緑内障です。
しかし精神科の病気は、そうはいきません。医学モデルに当てはまるかどうかだけで診断するわけにはいきません。DSM-IVやIDC-10には、診断の手引きがあって「過去○ヶ月以内に下記○個の症状のうち○個があること」といった基準はあります。けれど、それだけに頼って診断する精神科医はいないでしょう。
もちろん、症状も大事ですが、その人の置かれた環境にも大きく左右されます。
たとえば大酒飲みが内臓を痛めて内科に入院するとします。たびたび入院を繰り返しても、ちっとも酒を控えることも止めることも出来ないとします。離脱症状もなく、飲む場所や時間がコントロールできていて、つまり精神的な症状があまりなかったとしても、やっぱりこの人には「酒を止める」治療が必要な依存症者です。
逆に、田舎の方へ行くと、昼間から酒を飲みながら野良仕事をしている御老人はいっぱいいます。同じ人がサラリーマンをしていたら、すぐに入院させられちゃうような状態であっても、田舎ののんびりした時間の中では、特に問題もなく暮らしていけたりするのです。こういう人を全員治療しなくては、と意気込む医者もいないでしょう。
「社会の中で(病院の外で)トラブルなく暮らしていけるかどうか」
これが、判断材料に加わります。
社会生活といっても、たいてい自分の家で過ごす時間が一番長く、次に長いのが仕事の時間でしょう。ですから、家族(次いで職場の人)が「困っているかどうか」「悩んでいるかどうか」という基準です。
(まだ明日に続きます)
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