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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年03月10日(土) 10 years ago (14) 〜 手遅れだと言われても、口笛... 10 years ago (14) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃
明け方まで仕事をしていたので、土曜午後の断酒会の研修会に行くかどうか迷ったのですが、体力的に無理しても行くことにしました。水澤都加佐先生の講演「親子を考える」です。
さすがにプロの話は分かりやすいですね。
お恥ずかしい話ですが、僕はいままでずっと「水澤先生は女だ」と思ってました。だってほら、つかさって女性の名前でもあるでしょ。だって、写真を見たことも、声を聞いたこともなかったんですもん(言い訳)。
男女共用名とでも言うんでしょうか、例えば「かずみ」とか「まこと」とか。中学の同級生には和美(♂)がいました。「まこと」は女性の場合には字がたいてい真琴ですね。でも大学時代下宿の隣人は真琴(♂)でした。話が逸れました。
で、行って良かったか? 良かったですよ。
NO INPUT, NO OUTPUT です。入力がなければ出力がない、とでも訳しましょうか。NINO(ニーノ)は創造性について「刺激を受けないと、アイデアも出ない」という意味で使うんでしょう。でも、いろいろなものがNINOです。
お金を稼がないと、使うお金がない。ご飯食べないと、出るもの出ない。コンピューターも入力がなければ、ただの箱。そして、自助グループだって、人の話を聞かなければ、自分の話はできません。愛された経験があって、愛する能力が育つってこともあります。
すくなくとも、僕はAAだけでは用が足りません。実際には、なかなかAA以外のところには行けませんが、不足があることだけは忘れないでいたいものです。いくら肉が好きでも、野菜も食べないといけません。
適切な導き(インプット)がなければ、行動(アウトプット)も変わってくれません。そう思います。
もっとも、講演が終わったら、酒害体験発表が始まる前に帰ってしまったので、言動不一致と言われても仕方ありません。夕方からはAAミーティングでした。
「10 years ago 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃」
というシリーズものを書いていたのですが、13話で止まってしまい、1年以上ほったらかしでした。続きを書く前に、これまでのインデックスを掲げておきます。
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(9) (10) (11) (12) (13)
さて、10年前(正確には11年前)、僕ら夫婦は新婚旅行中でありました。
南の島の滞在を終えて、僕らはシドニーに移動しました。3週間酒を断って、そこそこ体調も良くなっていたはずなのに、結婚式から始まった数日の飲酒で、またあの「体のだるさ」と「何をやるのもしんどい無気力」が戻ってきてしまいました。
そんな状態にもかかわらず、妻は僕の「日本に帰ればきっぱり酒をやめる」という約束が守られると信じていたのでしょう。いや、何もかも台無しにしたくなければ、そう信じるほかなかったのかもしれません。
タバコにはすごい税金がかかっていて、日本円にすると一箱500円以上でした。おまけに妻の立ち寄る店はどこも灰皿が置いてなくて、炎天下の歩道で人目を気にしながら吸う羽目になりました。汗がだらだら出るのですが、それが例の気持ち悪い汗なのか、単に暑いだけか、もう区別がつきませんでした。
日本に帰りたくないと、強く思いました。
理由は二つあって、ひとつは帰りの飛行機の旅です。またあの狭いエコミークラスの座席に押し込まれ、今度は心身の不調にも耐えなければなりません。来る時にすら、機内サービスのビールとワインでは足りなくて、乗務員に追加を頼んでいるくらいです。すでに禁断症状の始まった帰りの旅では、きっとあてがわれる酒では足りなくなるでしょう。はたして十何時間も耐えられるものかどうか。
もうひとつは、なんとか日本に帰れても、その先ずっと酒をやめていけるかどうか。
ああ、ほんとに日本に帰りたくない。後先考えず、妻を残して、このままシドニーの街の中に一人で消えてしまおうかと何度も思いました。
ふと、シドニーがこれだけ大きな都市なら、きっとAAの会場もたくさんあるに違いないと思いました。思えばAAで酒をやめた時期もあったのに、どうして自分はまたこうなってしまったのか。こんな状態では仕事ができそうにないし、酒をやめるにはまた精神病院に入院するしかなさそうでした。
さすがに新婚早々、精神病院に入院するわけにもいかないでしょう。連続飲酒やら、父の死やら、結婚の準備やらで、仕事もずいぶんと遅れていますから、そちらも休めません。でも、仕事の効率は、これからも果てしなく落ちる一方でしょう。
入院するなら、その前にまず日本に帰り、挨拶回りを済ませ、仕事を片づけて、あきれる周囲を説得して・・・少なくとも3〜4ヶ月は必要と思えました。そのひとつひとつのハードルが、とても高すぎて越えられそうにありません。
八方ふさがりで、どうすればいいのか?
最後の晩、ホテル最上階のバーに行き、さらに部屋のミニバーのボトルを全部空けました。妻との約束では、これが最後の酒になるはずでした。もちろん、そうならないことは、僕が一番よく知っていたのですが。
(そのうち続きます)
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