ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2007年02月04日(日) 怪しげな健康茶ならウチにいくらでもあるよ 日本最大の新興宗教というのがあります。大きさで言えば例の「学会」のほうが目立つのですが、それは数で言えば二番目です。一番目のほうは、分裂してしまったこともあって、全体をまとめて数えられることも少なく、あまり世間では目立っていない気がします。
実家の隣の家のおばさんが、そこの信者でした。あまり強烈な印象はありませんでしたが、そのおばさんが選挙に出た話は憶えています。その宗教のつてを頼りにしたらしいのですが、町議選にあえなく落選していました。政治に熱心な別の宗教団体だったら違ったのかも知れませんが。
以前「いんな○とり○ぷ」という雑誌を本屋に並べていたのも、その団体でした。
ずいぶん以前の話になりますが、いきなり実家の母から電話がかかってきて、僕の妻が、その宗教団体の人を伴って、実家を訪れたと知らされたことがありました。「先祖供養をしたいので、位牌を見せて欲しい」と言われて、母もどこの団体なのか理解したようです。
その数日後、妻と話をしました。
妻が言うには、そこは多額の喜捨は要らず月に500円の会費でよく、派手な宗教儀式も要らず、強力な布教活動も要らない。先祖への信仰は良いことだから、その団体は悪い宗教ではないと主張するのです。
思い出せば、隣のおばさんの宗教に迷惑をかけられた記憶もありません。だから、「その宗教がいかに悪であるか」という論法で攻めるのは、その時点で諦めました。
もともとその論法には(手に入れたものが宗教であれ、納豆であれ)、相手をさらに意固地にさせる欠点があって、説得の道具としては使い物にならない、と経験が教えてくれたこともあります。
誰から誘われたのかと聞いてみると、父親(僕にとっては義父)からだと言いました。父親に誘われて通っているうちに、入信を断り切れなくなったようです。そういえば、その数ヶ月前から母屋のほうに、見知らぬ人がたびたび訪れていました。
父親に言われると断れない親娘関係というのも、実に困ったものですが、その話は今回は置いておくとして・・・。
そのうち義父がやってきて、その宗教がいかに良いものか話し始めました。その話をずっと「はいはい」と聞いた後で、
「なぜ、妻が入信した事実を2ヶ月も3ヶ月も知らされず、よりによって実家の母から知らされねばならないのか。実家へも前触れ無くいきなり訪問したのではないか。それで信用しろと言っても無理ではないか」
ただそれにこだわってみました。
もともと妻は「パソコンを使った在宅ワーク」に騙されて泣き寝入りしたり、高価な学習教材を買って消費者生活センターに相談に行ったり、やはり高価な健康食品を買ってクーリングオフしたり・・と、いつもダンナが気がついた頃には、トラブルにはまり込んでいるケースを繰り返しています。
今回はたまたま対象が宗教だった、ということなのでしょう。
信教の自由とか、その宗教がよいとか悪いとかは置いといて、ひたすらスジ論だけをして「それではスジが通らねえ」という話だけをしました。
最後には義父も折れて、じゃあどうすれば納得するかと言われたので、
「いったん退会してもらって、数ヶ月おいて、本当に入信したかったら、今度は相談しながらすればいいではないか」
ということにしました。
その後、その宗教の人がたびたび訪れてきたり、義父が「話だけでも聞いてくれ」と言ってきましたが、僕は、その宗教の善悪と今回の件は無関係、ともかく半年の冷却期間。とつっぱねていました。
例外はあるでしょうが、多くの新興宗教は一度退会した人の再入信を認めていません。妻も父親に流されていただけで、別段入信したくはなかったらしく、あれからずいぶん経つもののその話はぶり返していません。ケロっと忘れたかのように。
ときおり母屋へ行くと、義父がお経をやっているところに出くわすことがありますが、それは僕がとやかく言うことではありません。
僕は宗教が悪いものだとは思いません。ただ、天台宗の山田座主の「宗教のデパートがあればよい。そうすれば人は自分にあった宗教を自由に選ぶことができる」という言葉に、深い感銘を覚えるのです。
もくじ|過去へ|未来へ