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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年02月02日(金) 200万分の一 「だから私は、突然であれ、ゆっくりであれ、誰かが変わっていくとき、その変化を疑ってはならないと思う。また私たちは、自分の要求に最も役立つものを求めがちであると経験が教えているから、自分の好みに合った特別なタイプになるようなことを求めてはならないのである」
『ビルはこう思う』281
AAに入って、それなりの回復を得た人なら誰でも、振り返れば自分が歩いてきた「回復の道」ができているものです。楽しいことも、辛いこともあった道ですから、誰でもその道に愛着を持つものでありましょう。
不思議なことですが、人間は自分の歩いた道を、後ろから誰かが歩いてきて欲しいと願うようであります。まるで誰かが後ろをついてきてくれることが、自分の歩みが無駄ではなかった証明になるかのように。
例えばグループの中に、半年ぐらい飲まないメンバーがいたとします。
「こつも半年経ったか。俺が半年の時には、AAの仲間のありがたさが分かって、仲間に感謝できたものだが、こいつはちっとも仲間に感謝しないなぁ」というようなことにこだわってしまうと、自分が苦しくなります。
どうやったら、大事なことに気付いて貰えるか、一生懸命考えてみたり、<提案>してみたりするのですが、基本的にはイライラが募るばかりです。
スポンサーシップにしても同様で、スポンシーにはまず自分と同じ道を歩いて貰うのが普通でしょう。その道には少なくとも自分という成功例があるので、(自分が歩いたことのない道よりは)自信を持ってお勧めできるわけです。
ところが、人間は一人一人違うので、同じ道を歩くとか、同じように回復することはできません。違った回復の仕方をします。
スポンシーを自分の型にはめたがるスポンサーと、はめられて感謝しているスポンシーのペアに出会うこともあります。なんだか共依存的で、脇で話を聞いているとベトベトした感じがあって気持ち悪いものです。俗に親分・子分と悪口を言われたりします。
自分と全く同じ道は誰も歩いてはくれません。たとえ最初そう見えても、必ずどこかで逸れていきます。「僕の好みのタイプ」に回復する人は誰もいません。人は人、おのれはおのれです。好みの回復にこだわれば、他のタイプに嫌悪感を持ってしまい、誰かが失敗すれば「だから言わんこっちゃない」と冷たく突き放したくなります。
伝えるべきものは、自分の経験ではなく、AAの原理であること。原理を伝えるために、自分の経験という道具を使っているにすぎないこと。AAメンバーが200万人いるなら、自分の経験なんて200万分の一の価値しかないこと。
それを自分に言い聞かせて行きたいです。
そうは言っても、この文章だって俺様教を布教しているメンバーを非難しているだけなので、自家撞着するのですが。
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