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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年01月16日(火) 著作権は誰のために? 著作権は何のためにあるのでしょうか。
何かものを書いた人の、権利や収入を守るため、だと僕は思ってきました。
それは勘違いで、実は「著作物を使った産業を振興するため」です。
著作物(小説、マンガ、歌、絵画、映画、コンピュータープログラム・・・)を作った人がいて、それを複製(印刷、コピー)する人がいて、あとは普通の商品と同じように流通ルートがあって、販売店があって、宣伝をする人がいて。
沢山の人が、それで収入を得て、ご飯を食べていくことができます。それが、著作権法の目的です。
小説を一本書くのは大変な手間でしょうが、印刷するのは(一冊あたりは)短時間ですみます。だから書く手間を省いて、売れ筋の小説の複製を作って売れるのならば、楽な商売になるでしょう。そういう輩が増えると、手間をかけて小説を書いても、収入に結びつかなくなってしまいそうです。
結果として、作家になる人は減り、作品の数も減り、出版点数も減って、産業全体がしぼんでしまいます。
それは良くないので、苦労して著作物を作った人にお金が入るように、著作権という権利を与えて守ってあげるわけです。でも、その権利は手段であって、目的ではありません。そのことを理解していないと、「翻訳権の10年留保」を理解するのが難しくなります。
さて、英語の本を日本語に翻訳して売るには、英文を書いた著者から「翻訳権」を譲り受けないといけません。それにはお金がかかります。それが著作者の権利というものです。
さて、外国の本を日本語に翻訳して売るには、まず翻訳家という職業の人が育つ必要があります。翻訳本を出す出版者だとか、外国の本を違和感なく受け入れる市場とかも必要です。
それらが育つまでは、外国の本を出版しても売れずに、赤字になるばかりでしょう。
そうなると、外国の作者が、日本語で本を売ることができません。それは、外国の著作者にとっては損失ですし、日本の出版産業にとっても損失です。
だから昔は、「外国で本が出版されてから、10年経っても日本語に翻訳出版されていなければ、翻訳権は消滅し、誰でも好きに翻訳して出版して構わない」ってことになっていました。これが翻訳権の10年留保です。
翻訳権がないから、著者の許可を取る必要も、お金を払う必要もなく、出版のハードルが低くなる→出る本が増える→翻訳出版産業が発展する→やがては外国の作者の利益にもなる、というわけです。
この規定は、1970年に「もう日本も文化的後進国ではないだろう」ということで、廃止されました。しかし、それ以前に消滅した権利が復活することはありません。
というわけで、1970年の末までに外国で出版され、その10年後までに日本で翻訳出版されていない本は、誰が翻訳出版しても自由であります。
AAのビッグブックの初版本(1935年)もそうですし、ヘイゼルデンの『リトル・レッド・ブック』(1957年)も、『スツールと酒ビン』(1970年)も、当てはまります。
それは、日本の誰かが、アメリカの原著作者と翻訳の独占契約を結んでいても関係ありません。法律で守られるべき翻訳権がもう存在しないのですから。
だから、例のコピー製本の赤い本も、緑の本も、違法な出版物というわけじゃないでしょう。もちろん、訳文の権利は日本国内で発生したものですから、ピーター神父の死後50年間は守られるわけですが、その許可はもらっているんでしょう(たぶん)。
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