心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年01月15日(月) ユートピア

努力が必ず報われる世界があれば、それこそまさにユートピア(理想世界)でしょう。
望みを叶えるためには、努力しさえすればいいわけですから。

でも、残念なことに、この世界では、努力は必ずしも報われるとは限りません。努力と結果は正比例しないのです。それは、子供の頃からの経験で、身に染みて分かっているはずですが、でも心のどこかで理想社会を求めているのです。

例えば、「俺がこんなに愛しているんだから、お前も同じぐらい俺を愛するべきだ」という主張もそうですね。俺がこんなに一生懸命愛して=努力しているんだから、それは(お前の愛で)報われて当然だろうというわけです。それを「夫婦なんだから」という理屈で補強してみたりします。
確かに愛してはいるのでしょう。でも、DV夫の心の中にだって、同じ種類の愛情はあるんですね、たぶん。

相手も、愛はあるでしょう。でも、相手も人間ですから、望まれるままに行動するのは無理です。相手には相手の愛し方ってのもあるし。

でも、そのことが「努力が必ず報われる理想」を求めちゃう人には、わからんのです。挙げ句に、お前は俺を愛していないとか、お前の愛は真実じゃないとか言い出したりして。

そう言う人はたいてい「俺はだめな人間だ。皆に迷惑をかけて申し訳ない」とも言い出します。それはある意味真実なのですが、本人はそうやって自分を卑下することで満足してしまうのか、あまり改善の努力はしないですね。

愛というと人間関係を限定しすぎですから、誠意と言い換えてもいいでしょう。
「あの人は立派な人間だと思っていた。私も誠意を持ってつきあってきた。けれど、幻滅した。あんな人だとは思わなかった」
そうは言っても、誠意ある人間でも、望まれるままに動くことはできませんから。

つまるところ、相手をコントロールしたい。世界に自分の力を及ぼしたい。膨らんだ自我というやつです。その手段として、誠意とか愛とか努力とかを使っているだけ。

理想は純愛物語の中だけにしておいて、現実の中で理想がちらりとかいま見られるだけで、良しとしようじゃないですか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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