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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年11月26日(日) 過去 5年日記の話は、ミーティングでもたまにしています。
ソブラエティ1年後から、実家の近くの病院で、院内のAAミーティングが始まりました(病院メッセージともちょっと違いました)。
それで僕も、それまで通っていたミーティングを一個減らして、そちらに出席するようになりました。
すると、母が近くまで来ているのなら、帰りに顔を出せと言ってきたのです。
最初は、他のAAメンバーと一緒に行っていたので、本当に必要があって寄る時にしか実家には顔を出しませんでした。でも、そのうち一人で行くようになって、ミーティング後に実家に寄るのが当たり前になり、夕食と風呂にあずかるようになりました。
当時、母は5年日記というのを付けていました。それは各ページに毎日の日付が振ってあって、ページの中が5段に別れていて、毎年同じ日は同じページに書き足していく仕組みです。
僕が飯を食ったり、テレビを見たりしている間、母は日記を付けていることもありました。
すると、母が今日の日記を書いているページには、2年前、3年前に僕がやらかした所業と母の苦悩が書き記されているのであります。それを見て母が、「一昨年の今日、お前はこんなことをやった、あんなことをやった」と言うわけです。
例えば、車庫の柱に車をぶつけて屋根を落としたとか、自転車で酒を買いに行って(川に落ちたのか)ずぶ濡れになって帰ってきたとか。
聞いている方としては、心中穏やかではありません。というか、いたたまれません。
自分でも忘れていた所業が白日の下に晒されるのですから。逃げ出したい気分でした。
僕の態度も穏やかでなかったのか、最初のうちは母も遠慮して言っていましたが、そのうちその遠慮もなくなっていきました。
そしてそれは、5年日記が尽きるまで続きました。
僕らは、AAミーティングで、ステップ4・5、8・9で自分の過去と正直に向き合うべきだとされています。でも僕は、自分の自己洞察ってやつが、どんなに甘っちょろいものかは良く理解しました。自分の過去の記憶は、酷いなら酷いなりに美化されていて、事実とはかなり違うんだってことを。
だから、AAミーティングに家族がやってきて本人の話を聞けば、「おいおい、思い出を良い方に改変すんなよ」って気持ちになるんではないか、そう考えています。
昔のことを言われるたびに、表面に出して(あるいは内心で)感情的になっていた自分ですが、だんだん諦めにも似た気持ちで、他者の視点から見た事実と向き合えるようになりました(ちょっとはね)。
そういうチャンスを与えてくれた、母の5年日記には感謝しています(今ようやく)。
院内ミーティングが病院メッセージに衣替えした後も、あいかわらず通っているのは、母が月に一回は来いと言うのも理由のひとつです。
2冊目の5年日記を書き終えた母は、もう日記を書くことに興味を失ったようで、少し安心しています。
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