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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年11月11日(土) 自分のハイヤー・パワー 「自分の」ハイヤー・パワーを見つけることが、どれほど大切なことであるかは、あまり伝わっていない気がします。
たまにミーティングで聞く話に、「今の自分は苦しい。でもアルコール依存症でない普通の人も、アルコール無しでこの苦しみに耐えているわけだから、自分だって耐えられるはずだし、耐えなければならない」というのがあります。
それを聞くと、本当にそうなんだろうかという疑問が、僕の心の中に浮かびます。
「みんなが、自分と同じように苦しい」という認識は、はたして正しいのかどうか。
僕は酒を飲んでいるころ、世の中のほとんどの人は(男性の多くと、女性の一部は)、毎日酒を飲むものだと自分に信じ込ませていました。自分もその中の一人であって、何も特別ではないし、異常でもないと、自分を納得させていたのです。
そうした自己欺瞞は、今や完全に崩れ去って、毎日酒を飲む人自体がそもそも少ないのであるという事実を受け入れています。
飲酒運転をするような連中は、どうせ毎日酒を飲んでいるんだろう、と決めつけたいところですが、それは自分の価値基準で判断しているだけの話。現実はたぶん違うのでしょう。
「みんなが、自分と同じように苦しい」という判断は、自分と同じような暮らしをしている人は、今の自分と同じ苦しみを感じているはずだ、という自分の判断によるものです。
同じ状況でも、もっと楽に暮らしている人も多いという事実に目を向けるのは、かえってその人を苦しめるだけなのかも知れません。
自分のハイヤー・パワーを見つけ、そのハイヤー・パワーとの間のパイプを掃除することで、とても生きるのが楽になったんですよ、という話を聞いても、「みんな苦しいはず」と信じている人は、楽になった話は単なる強がりであり、自分がそういう強がりを言うようにはなりたくない、と思って、また元の苦しい生活へ戻っていくのでしょう。
何よりも、僕自身がそうでありました。
酒が底つきを体験するまで止まらなかったように、生き方も底をつかないと楽な方へは変わらないんじゃないか、そんな気もします。でも、そうとは限りませんね。
とりあえず、「みんなが苦しいはず」という思いこみを捨て、状況が変わらなくても、自分にだってもっと楽な暮らしができると自分に言い聞かせるところから始めないと。
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