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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年08月31日(木) 暴走する アル中を、ブレーキの壊れたダンプカーに例える例があります。
坂の上にダンプカーが止まっている。そこに止まっている限りは害はないのですが、いったん坂を下り始めてしまうと、どんどん加速が付いて止まらない。なにせブレーキが壊れているのですから。何かにぶつかって破壊するまで(トラブルが起きるまで)止まれません。
怒りについても同じことが言えます。
アル中は怒りのブレーキが壊れている場合が多いです。いったん怒りだしたら、どんどん加速していって、「何もかも気に入らねぇ」という状態になり、何かにぶつかるまで止まらないのです。
自助グループの中で(あるいは病院の中で)アル中どうしの感情的いざこざが絶えないのは、当然のことでしょう。みんなブレーキの壊れたダンプカーを乗り回しているのですから、正面衝突しないほうがおかしいです。
でも、怒りはアディクションとはちょっと違う気がします。
なんでそこまで暴走するのか。怒りのエネルギーをため込んでいるからでしょう。ゼンマイをキリキリ巻くみたいに。
怒っちゃえばいいんですよ(たぶん)。
怒ってしまうと、周囲からは「子供みたい」「辛抱が足りない」「わがまま」という評判を頂戴することになります。そうは思われたくないから、我慢している側面もあるでしょう。自分の評判を守っているという。
そのくせしっかりと傷ついていて、後になって「自分は傷ついた」とか「不当な扱いを受けた」とぶつぶつ文句を言うわけです。そうして恨んでいれば、相手が悪くて、自分は被害者でいられるわけです。やがて恨んでいることからも目を背けてしまいます。
だったらなぜその場で怒らないんでしょう。
怒れば相手を傷つけます。でもそれは、自分にだって悪い感情がでてるんだから、当たり前のことです。そうして初めて、自分の怒りの原因(プライドへの固執だとか、安全への過剰なこだわりから来る恐れとか)に目が向けられるようになります。
「子供みたい」「辛抱が足りない」っていう評判だって正当なものです。それを隠して世間様にはいい顔を見せたいと思う方が恐ろしいです。
だから、アル中さんが顔を真っ赤にして怒っていても、本当に目の前のことに対して怒っているのかは疑わしいのです。実はキリキリと巻かれたゼンマイが解き放たれているだけなのかもしれません。
自分は怒りをコントロールできているはずだと思っていれば、祈りだとか棚卸しのようなAAの道具を使ってみようとは思わないでしょう。で、ときどき爆発しては、相手に謝るのを埋め合わせだと思っているわけですな。まず自分に謝らなくちゃいけないのに。
いつもキリキリ巻かれたゼンマイを抱えてるひいらぎが言ってるんだから、間違いないって。
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