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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年04月19日(水) 全体の幸福>個人の幸福 Each member of Alcoholics Anonymous is but a small part of a great whole. A.A. must continue to live or most of us will surely die. Hence our common welfare comes first. But individual welfare follows close afterward.
私たちは「酒を止めて生きなければならない」というきわめて個人的な都合でもってAAに集まっています。
世の中からアルコール依存症を根絶しようというわけではありませんし、アルコール依存症に対するスティグマ(偏見)を取り除こうと社会改革に燃えているわけでもありません。
単純に、自分が助かりたい、自分が幸せになりたいという、とても自分本位の目的追求のための集まりであります。
ただ、AAの回復のメッセージというのは、これを受け取っているばかりでなく、次の人にプレゼントし続けていかなければ、その効果が薄れてしまうというものであります。
AAのメンバーが「まだ苦しんでいる依存症者」に興味を持つのは、なるほどその人に助かって欲しいという願いがあるわけですが、その背後には「自分が助かりたい、助かり続けたい」という願いがあるわけです。逆に言えば、どんなに余裕しゃくしゃくの依存症者だって、背後からアルコールに脅されているという現実からは逃れようもないわけです。
AAにやってきて私たちは、このような苦しみ、このような不幸を背負っているのが自分だけではなかったと知って安心するわけです。またここに解決方法があることを知って喜ぶわけです。
しかし同時に、ひとりではAAミーティングすら開けないということも知るのです。これはひとりミーティングを10回以上やっている僕の言葉だから信用してください。ひとりではどうにもならないわけであります。
こうして私たちは、助かりたければ一緒にやっていく他はないこと。一緒にやっていくためには、どこかで自分の権利を犠牲にしなくてはならないことを知るのであります。
自分が納得するまでしゃべりたいとか、自分のことを理解してもらえるまで聞いてもらいたいとか、都合の悪いときは休みたいとか、気に入らない話は聞きたくないとか、話を聞きながらタバコが吸いたいとか、そういう「自分の都合」を生け贄の祭壇に捧げながら、ともかく一緒にやっていくほかはないということであります。
犠牲は尊いものでありますが、その犠牲の価値について理解するのは、いつもずっと後になってからであります。
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