ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年03月27日(月) 怠惰と不作為の間 動物園と善光寺さんに行ってきました。
朝10時に妙に元気な妻に叩き起こされました。
(お前、昨日はうつだとか言って夕方になるまで寝てたじゃねーか。おまけに食事も風呂も子供の世話も俺に押し付けやがって、自分が遊ぶときだけは元気なんだから)
とは思ったものの、言ってもせんない文句は言わぬがハナであります。
おそらくこの動物園は3回目だと思うのですが、娘たちは前に来たことはまったく覚えていないようであります。ただ長女は「動物園ですごく走った覚えがある」と言っていました。それは3才だか4才のときに多摩動物園に午後4時に飛び込んだときであります。あの広い動物園を1時間で見て回るのは大変でした。それにくらべて、長野の動物園のなんとちいさなことか。
でも、子供たちはポニーに乗せてもらったり、レッサーパンダにさわったり、モルモットを抱いたり(?)と、細やかなサービスがあるのも来園者の比較的少ない動物園のよい点かもしれません。
その後、善光寺へ。
たぶん、高校生のときに「強歩会」という学校のイベントで実家のあたりから一晩かけて歩いていった時以来でしょう。夕方に集合して出発し、夜通し歩いて目的地を目指し、電車で帰ってくるという、いかにも体力の有り余っているティーンエイジャー向けの企画でありました。朝になり、疲労のために集団から遅れて一人で国道端を歩いていたら、車が止まって「乗っていきませんかー」と若い男に声をかけられた記憶があります。当時の僕は長髪が背中の下のほうまで伸び、体重は40キロ台で、短パンから出た足にはすね毛はほとんどありませんでした。振り向くと車の男は驚いた表情でしたが、「結構です」と僕が言うと明らかに安堵した表情で走り去ったのでした。
あれから二十余年、善光寺は記憶にあるのと変わりませんでした。
善光寺に手を合わせる自分は仏教徒なのか、すこし考えたりします。婚家は浄土真宗なので、一応僕も形は仏教徒であります。実家は神道でありました。といっても積極的に神道になったわけでもなく、明治維新後の廃仏毀釈で菩提寺が廃寺になった結果だそうです。そしてAAメンバーとして何も疑問を持たずにキリスト教会に出入りしています。
夏にAAのイベントで使う宿泊研修施設の予約をしました。考えてみるとAAの宿泊イベントの予約を僕の名前でするのは初めてかもしれません。なんとなく心が緊張するものですね。
「私たちが運んでいるメッセージには未来の仲間の命が託されている。できないことをやれとは言わないが、できるのにやらない不作為は許されない」
何年も前に聞いた仲間の言葉を思い出しました。できることをすればいいのですね。
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