ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年03月25日(土) 配られたカード ポーカーのようなカードゲームを考えて頂きたい。ホイストでもいいし、トランプが嫌いなら花札でもかまいません。麻雀でもいいです。
最初に手札が配られます。手札によっては勝利に近い「よい手」もあれば、とうてい勝ちは見込めない「悪い手」もあるわけです。手札が悪いからといって交換を要求することはできません。みな、与えられた条件でゲームに参加するのであります。
手が悪いからといって投げやりになれば、勝利はおぼつきません。手が良いからといって慢心すると、足下をすくわれます。どのポジションからも努力が欠かせないのであります。
良かったり悪かったり、それもゲームの綾であります。
「配られたカードですから」という言葉を僕に贈ってくれた、先ゆく仲間がいます。
ただそれだけの言葉でありました。
家族がいるとかいないとか、仕事があるとかないとか、借金や他の病気の有無、病気の軽重、ミーティング会場の近い遠い、周囲の理解・・・。私たちがソーバーを目指すにあたって、メンバー一人ひとりの条件は、皆違っています。恵まれている人もいれば、困難な人もいます。隣の芝生はいつも青く見えます。
しかしそれは「配られたカード」であります。ぶつぶつ文句を言っても始まりません。与えられたコンディションで最善を目指すほかありません。
僕らはバケツリレーのように経験と知恵を手渡ししていきます。だから僕もこの「配られたカード」という言葉を贈りたいと思います。
パ・リーグが開幕しました。残念ながらわが楽天野球団に今季初勝利は訪れませんでした。
野村監督の言葉に(引用でしょうが)、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあります。
うまくいくときには「たまたま」があり、失敗にはかならず原因がある。ソブラエティも同じだと思います。結果として幸運に支えられて「飲まない」が続くことがあります。が、結果に慢心すれば失敗が待っています。結果にとらわれるとプロセスが見えなくなります。
『ビルはこう思う』を全部丹念に読む機会がありました。神さまは、時に人を、他の人より困難な道に導くことがある。だから結果がなかなか出ない時もあるけれど、どんなときでも結果が重要なのではなく、努力することが大切なのだとビルは説きます。
なかなかソーバーにたどり着けない人に対して、時に人はとても冷たくなります。自分に配られたカードがたまたま良い手だったから結果が出ただけだと謙遜することは簡単にはできません。
「1年経つまでは病気が飲ませているのだ。でも1年経った後は本人の責任」
そういう言葉ももらいました。「酒をやめているだけじゃダメなんだ」という理屈はもっともですが、上を見て背伸びをして歩けばたいてい転びます。回復や成長なんてものは、自分が望んでいるよりはずっとゆっくりしたものなのですから。
それに、辛い時、苦しい時にしか、プログラムに取り組もうとは思わないですし。
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