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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年03月09日(木) 爺々呆談 メーリングリストのミーティングで「友達いない」という話をしている人がいました。
僕もいませんね、友達は。
郷里の小学校中学と一緒だった連中とは、まったく付き合いがありません。高校時代のも1回同級会をやっただけです。大学時代はクラスメートじゃなくて、サークルの仲間とはまだ付き合いがありますが、全国に散らばっているのでネット上の掲示板でのつきあいがせいぜいです。みんな忙しいですし。
フリーランス時代の友人知人とは、酒が原因ですっかり疎遠になってしまいました。
今の仕事仲間は、ときどき遊びに誘ってくれて、ゴールデンウィークもマレットゴルフにおいでよと言われていました(行けなかったですが)。たまにカラオケや麻雀にも行きます。でも友達というのとは違いますね。
住所録でいちばん多い項目がAAの仲間です。
もしAAの仲間が「友達」だとしたら、お互いに深い心の秘密や悩みを打ち明けあっているわけなので、「無二の親友」というぐらい深い付き合いをしていることになるのかもしれません。無二の親友が一杯いることになりますね。
でもやっぱりAAの仲間は「友達」とは違います。
ある時、電話をかけてきた仲間が「なあ、ひいらぎ。俺たちAAを離れても友達だよな」と確認してきたことがあります。
僕は何のことか分からず、「前から言っているとおり、俺とお前とは同じ病気にならなければ会うことすらなかった間柄だ。同じAAのステップをやっていこうという願いがくっつけている仲間だ。もしこのプログラムを止めたら、俺とお前は赤の他人だ」と答えました。
彼は重ねて「友達だよな」と言い、僕は重ねて「仲間と友達は違う」という話をしました。
思えば、彼はその時すでに飲んでいたのでしょう。それに気がつかなかった僕は、なんて間抜けでしょう。
住所録からAAの人のを削り、距離の離れた旧友たちを削り、仕事の関係者を削り、そして親戚や身内を削ると、残るのはせいぜい2〜3人です。
その2〜3人も、最近もらう手紙が金の無心だけだったりして、それも削除すると、誰も残らないのでありました。
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