心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月17日(火) 宮崎君ちのツトム君上告棄却に思う

今日のニュースは、阪神淡路震災11年とか、ライブドアとか、いろいろ目白押しでありましたが、やはり僕の目に行ったのは「宮崎勤被告に死刑・連続幼女殺害事件で最高裁が上告棄却」というところでしょうか。

三つに割れた精神鑑定だとか、子供をターゲットにした殺人事件の象徴的存在だとか、いろいろな文脈で書くことが出来るとは思うのですが、僕にとっては「僕と彼は同じ時代を生きてきたのだな」という感慨が大きいです。

事件が起きたのが17年前だそうですから、ちょうど昭和から平成に変わる頃でしょうか。僕は調布にいて、何回かの転居の最後の1回をすませた時期でした。引っ越ししたいという欲求はなかったのですが、外で飲んで帰る途中でアパートの鍵をなくしてしまい、トイレの窓を外して自分の部屋に侵入を試みた結果、水洗便所のタンクを破壊してしまい、大家から「あんたはトラブルばっかりだから出て行ってくれ」とたたき出された結果でした。

今田勇子の名前で犯行声明が送られたりして、センセーショナルに世間を沸かせていた割には、警察はなかなか犯人を逮捕することが出来ませんでした。手がかりがない中で、警察が取った手段が大量の捜査員を動員しての、不審人物・危険人物の聞き込みと割り出しでした。記憶に頼って書いているので正確ではないかもしれませんが、捜査線上に上った不審人物は800人に上ると聞きます。そして後になって僕は、自分もその800人の一人であったことを知るわけです。
僕の場合には、飲むための金を捻出するために、当時本棚の本を順次古本屋に売っているところでした。コンピューターの本なんて当時は価値はゼロだし、SFやミステリーの本も売ったところでたいした金にはなりません。昔も今も、安定した値段で買ってもらえるのはエロ本であります。それもどこの本屋でも買えるような種類のものじゃなく、入手経路が限られているもののほうが良い値が付きます。あとは想像におまかせします。
古本屋に本を売るときには身分証明が必要です。当時は免許証も保険証も持っていなかったのですが、水道料金の請求書なんかでも古本屋は納得してくれました。
いつも怪しげな本を売りに来る、身なりの汚い、目つきの怪しい男ということで、リストアップされたのかなと思います。そういえば酒を買いに行くのに警官に後をつけられたこともありました。

当時はまだインターネット以前ですが、それでもコンピューターネットワークはあって、結構みんな大変な思いをしていることが知れてきました。森伸之の「東京女子校制服図鑑」なんかが出た後で、アパートの押し入れに制服を数百着コレクションしていた男が警察に事情聴取を受け、それが勤務先に知れてクビになった話だとか、マンガ書店で手提げ袋に二袋本をまとめ買いして帰ったら、警官に自宅まで尾行されて近所の噂になった話だとか、まあネット上の噂の真偽が怪しいのは今も昔も変わりませんが。

でもそんな警察の捜査が功を奏して、犯人逮捕につながるのであります。彼が撮影した写真をDPEに出していた写真屋の店主から、いつもテニスコートを盗撮した写真を持ち込んでいる人物がいるという話が出たのが発端だと聞いています。(もっといろんな写真を現像してたんじゃないかという話はともかく)。

その話を聞いて皆が奇妙に思ったのが、なぜそんなすぐ足がつくようなことをしたのだろうかということであります。ミニラボの機械が普及して、なんでもかんでも現像印画してしまう今と違って、当時はプロ意識のはっきりした写真屋はエロ写真なんか紙焼きしてくれませんでした。下手に「コマが飛んでるんだけど」なんて文句を言っても軽蔑のまなざしを向けられるだけでした。

ちょっと現像にためらいがあるような写真は、新宿の大型カメラ店なんかが便利でありまして、一応名前と電話番号を書かされるのですが、もちろん偽名と偽番号でもかまいはしません。仕上がったものは名前のあいうえお順に並んでいるので、自分でそれを取ってレジに持って行ってお金を支払えば、だれも中身のチェックなどしませんでした。
数日経っても依頼人が受け取りに現れない写真は、片隅にまとめておかれており、それからランダムに抜き取ってレジに持って行き、引換券はときかれたら「なくしちゃった」と言えば、店のほうも金を取りっぱぐれるよりはと渡してくれました。後になって本当の持ち主が現れたとしても、「取りに来られないので処分してしまいました」でおしまいであります。
だから怪しげな写真目当てに、他人の写真を金を払って引き取ってくるなんていう遊びをして人もいました。

そんなことは「おたく」と呼ばれる人たちの間では常識に近いものであり、おたくというのは集積した知識をひけらかすことを面目としているので、つきあっていれば知りたくても知りたくなくてもそういう知識だけは貯まっていくものであります。
そういう知を持っていなかったという点で、彼の現実認識は歪んでいるのではないかという議論は当時もありました。

それはともかくとして、この事件は当時多少美化されつつあった「ロリコン=小児愛」というものを、実は実現すれば恐ろしいものという認識に転換したポイントであったように思います。少女が大人の男の(肉体的)愛情を受け止められるわけもなく、同じく少年が大人の女の愛情を受け止められるわけもないという、関係が成り立つというのは幻想でしかないことを明らかにした事件であったのではないかと。
少女と仲良くなって、やがて薬を飲ませていたずらをするとい筋書きのビデオが堂々と売られていた時代でしたが、そうしたものはあっという間に非合法化されました。もちろん前述のカメラ屋の手続きも変わりました。

そうした厳格化の波も、援助交際という名前の少女売春が社会問題化する中で、「子供を守らなくては」という文脈で同一化して語られたおかげで、逆に拡散してしまったのではないかと思うのですが、その話は宮崎君から離れるのでおいておきます。

昨年末に彼が外部に送った手紙には、「(今年の夏の)コミックマーケットのカタログを送って欲しい」と書かれていたそうです。結局彼は現実認識を変えずに世を去るのかも知れません。小児愛を夢想する人と、それを実行に移す人の間に、明確な壁があるのかどうか、いまだに僕にはわからないままです。自分の遺伝子の(たぶん)コピーを作ってみてわかったことは、子供は天使なんかじゃないと言うことです。その中は良い情念も暗い情念も渦巻く一個の人間であります。

結論があって書き出した文章ではないので、もちろん結びの言葉は思いつきません。おたくとはアグレッシブなものです。彼はそれを暴力という形で表出した。
最近では引きこもりもアディクションのひとつだという説が勢いを増しています。それについては不勉強なのでわかりません。
でもなんとなく、おたくと引きこもりというのは排他的なような気がします。おたくの定義にもよるか。
まあ、素人の戯言です。たまには論評みたいなことを書いてみたかっただけです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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