心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月07日(土) 三九郎

さんくろう【三九郎】信濃で、左義長(さぎちよう)をいう。

さぎちょう【左義長・三毬杖】‥(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという) 小正月の火祭りの行事。宮中では正月15日と18日に吉書(きっしょ)を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6〜7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。朝10時に町内のお地蔵さん前に集合しました。町内の小学生は12人。昔は三九郎は男の子の行事でしたが、現在は男女両方が参加する行事です。また三九郎は子供だけで作る習わしでしたが、現在は大人が作って子供は見ているだけであります。これも時代の流れでありましょうか。

いままで町内の行事は、妻に任せっきりでした。妻の具合の悪いときには、ジジババが出てくれていました。しかしジジババも年を取り、僕におはちが回ってきました。
AAスポンサーからも、そろそろ地域社会とかそういうことに力を割いていくようにという提案をもらっていたので、比較的素直にそういう方向性が決まりました。

集まった子供たちは東と西の二組に分かれて、町内の家のしめ飾りを集めてまわりました。お母さん方はその付き添いであります。4人しか集まらないお父さんたちは、近くの河原で三九郎の作成です。3本の竹を結んで簡単な櫓を組み、周囲に縄を渡します(ここら辺の作り方は僕の子供の頃と違って簡素化されているので、僕は初心者であります)。集まった門松は分解して、竹をキャンプファイヤーのような形に組みます。その上に、町内の神社のお祭りで使った縄を積み上げ、稲藁をかぶせます。
子供たちが集めてきた松飾りを全体に飾り付けて完成です。僕の子供時代には冬休みを何日も費やして作った三九郎ですが、イマドキは1時間あまりで出来上がりであります。
ここでいったん解散。

風呂の排水管が凍ったのはまだ溶けません。DIYショップの店員に尋ねてみたら、水道管用の凍結防止帯を巻けば良いと教えてくれました。凍結防止帯の説明書には「凍った水を溶かすだけの熱容量はありません」と書かれているのですが、時間をかければ良いそうです。
そいつを巻いたりしているうちに、知らぬ間に三九郎の点火時間を過ぎてしまいました。

年長の子が呼びに来てくれたので、あわてて出かけました。
午後4時の点火から、最後の炭火に川の水をかけて消すまで、およそ3時間。寒風の中で立っておりました。紙コップの中に注がれたジュースが、いつの間にか凍っているという寒さであります。
大人には(当然のことながら)御神酒として日本酒が振る舞われるのであります。僕は飲みませんからと断ったのですが、縁起物ですから口を付けるだけでもと少し注がれてしまいました。長女がそれを見て「パパ飲んじゃだめ」ときびしくチェックを入れてきました。彼女は父親の依存症のことなど知らないはずですが、ママから教わったのか「飲むふりだけでもだめ」ときびしいのであります。
口を付けずに日の中に捨て御神酒をあげ、そのコップにジュースを注ごうとしたら、まだ何滴か残っているからそのコップを捨てなきゃだめだと、なかなかきびしいのであります。
彼女は最近パパの本を勝手に読むようになって、静かにしているなと思うと『どうやって飲まないでいるか』とかを熱心に読んでいたりします。じゃあ理解しているかというと、そうでもないようでありまして、「どこが一番好き?」とか聞くと、P48の「チーズ、ナッツ、エビ、フルーツゼリー、ミント」と書いてあるところだそうであります。

昼間は4人しかいなかったお父さん方も、夕方のお酒の出る頃には十人以上が集まるのであります。そして、頭だってやっている人が、「もうお終いにします。あとは係のものが片づけますから」と言っても、誰も帰ろうとしません。火が燃え尽きるのを、みなが取り囲んで待っています。
帰っても良いはずなのに誰も帰らない。終わるまで帰らないという不文律があるのでしょう。白鳥の群れが鳴き交わしながら飛んでいくのを見上げながら、なんだかつらいなぁと思っているのでありました。

昨日は元気にお湯を沸かしてくれたボイラーも、ついに凍ってしまったようで、お湯が出ません。母屋でお風呂に入れてもらったものの、いったいこの寒さはいつまで続くのか、ちょっとうんざりしております。

子供たちが楽しんでいたのが救いであります。こうして僕の町内会デビューの日は過ぎたのでありました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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