心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年09月28日(水) 気楽にやろうと自分に言い聞かせつつ

昨夜ミーティングが終わって、アフターのおしゃべりが終わって会場を離れたのが9時半ごろだったでしょうか。いつもだったら、途中のジャスコで買い物をして、実家へと向かうのですが、そこでなんだか疲れ切ってしまっている自分を発見するのでした。

実家に寄らずに帰ろうかとも思いましたが、おそらく家には風呂も僕の夕食も用意されてはいないでしょう。仕方なく実家へと向かいました。普段だったら着くと同時に風呂に入って、すぐに食事をしながら母と話をし、そして1時間あまりで引き上げることにしています。
だが、風呂という気分でも、食事という気分にもなれず、母親相手に(まるで酔っぱらいがくだをまくように)愚痴を垂れてしまいました。だが母は、泣き言を言う人間に優しいタイプではありません。「そんなことを言ったって、おまえ仕方がないじゃないのさ」とつれないものです。
「仕方がないじゃないのさ」というのは、母一流の「変えられないものを受け入れる手段」なのでしょう。この「仕方のない」という諦念に反抗してみたこともありましたが、それは「変えられないものを変えようとする」反抗に等しいもので、勝ち目のない戦いでもありました。

1時間ほど話すと、急に体の寒さと空腹を感じ、風呂と食事を済ませ、さらにもう少し話して実家を出たときには夜半をまわっていました。

この間に、我が家の方では、学校で配られた検尿の容器と袋が居間で行方不明になってしまい、大捜索が行われたものの、結局(容器はともかく)袋は見つからず、袋の自作などが行われていた・・というのは翌日(今日)の昼になって聞いた話です。(また子供たちは睡眠不足だ!)

帰ってみると妻と子供二人はさすがにもう寝ていました。風呂に入っていないようでありました。
僕が実家で風呂を世話になるようになって、いつの間にか妻がその日の風呂をさぼるようになったことに、僕はしばらく気がつきませんでした。子供が風呂にはいるのを面倒くさがるのも原因かも知れません。清潔と保温も休息のうちと思っていて、自身風呂に入れないと不満がたまる僕としては、このことが気に入りません。いや、このことに自分のコントロールが及ばないことが気に入らないのかもしれません。

僕は、早く寝ればいいのに、なんとなくパソコンの前で何をするでもなく起きていました。
水曜日に、午前中にメンタルクリニック+午後に仕事+夕方からAA+夜に実家、とこなすのはちょっと疲れがたまりすぎると思って、クリニックに行くのを木曜の午前中に変えることにしました。だから水曜の晩は夜更かし禁止を自分に言い聞かせているのですが、そういった自制がどうもききません。

最近、うつと怒り(恨み)、うつと甘え、ということをよく考えます。
僕は母同様に「仕方ない」という諦念によって変えられないものを受容する自分を築いています。このことが正しいことかどうかはわかりませんが、「変えられないものは変えられない」と気持ちよく諦めがついているときは、物事は比較的スムーズに進んでいるので、それなりに実用になる考え方であります。
ところが、気持ちよく諦めがつかないときがあります。今の自分のように。
「何とかならないものか」とじたばたしてみたりするものの、物事は一向に良い方向へ向かいません。運命を呪ってみたり、怒ってみたりするのですが、そうすると次にお定まりのようにうつが悪化します。
「運命に押しつぶされようとしているかわいそうな自分」を自分で救ってあげようと、自分を甘やかします。それは意味のない夜更かしであったり、確信犯的な買い物であったりします。だが、夜更かしは体力を奪うし、買い物は金銭を奪うだけで、ちっとも自分を救ってくれはしないのです。できあがるのは、ぼうっと疲れた肉体と頭と心。すさんだ財布ぐらい。あとは自己憐憫がせいぜい。これまたうつの種ばかりです。

結局うつもスピリチュアルな病気であり、人生に対する自分の態度と行動を変えることによって、自分を変えることはできるのだということを、しぶしぶと認めるのであります。
ただ、やっぱり実行がなかなか伴わないのであります。

朝、長女は学校に行くのが怖いと言い、また保健室だったら行けるというので、妻が付き添っていったそうです。だが、保健室の外の廊下を人が通るたびにおびえて机の下に潜り込むような状態で、妻も対人恐怖があって、その場で倒れてしまったそうであります。
そうして、僕はと言うと、午前中にクリニックに行くべく目覚ましをかけたものの、起きられず、ようやく昼に起きてきて妻から話を聞いて、思案に暮れました。

とりあえず自分がクリニックに行かなくてはいけないので、仕事を休むと連絡をいれました。しかし、それももったいないような気がしたので、クリニックには妻に薬を取りに行ってもらうことにして、再度職場に「やっぱり行きます」と電話をして笑われて、遅刻をしたものの仕事に出てきています。

そして、具体的にすぐやらなければいけない仕事もある訳じゃなく、できる精神状態でもないので、「ぶどうのつる」を読み、少し元気づけられて、これを書いているというわけです。

まあ、悪いことばかりじゃありません。失職覚悟だったのに、10月からはたっぷり実務が待っています。仕事(ができるかどうかはともかく)は待っていてくれます。壊れたと思っていた車のCDチェンジャーは自然に直りました。次女の方は元気いっぱいです(こんど泌尿器科にいくけど)。

「変えられないものは変えられない」仕方ないことです。さて、仕事に取り組んで、帰ったら家族で話をすることにしましょう。神様は、僕にできないことは望んでいないのだから。できることだけやっていけば大丈夫。きっと。たぶん。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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