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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年09月27日(火) 生きている限り問題はなくなりはしない 飲んでいた頃は自分の人生が問題だらけだとは認めようとはしなかったし、もし問題があっても、そんなものは自分で解決できると信じていたし、そう言ってはばかりませんでした。
酒の問題を認めるときには、まず酒の問題だけを認めて、酒の問題さえ解決されれば、あとのことは順調にいくはずだと信じていました。
しかしやがてそうでないことを知ります。今でも僕の生活は問題だらけです。
自分で解決できない問題を抱えながら、そのことで悩まない。それが「変えられないものを受け入れる落ち着き」なのかもしれません。
最近子供のこころの問題が大きくなってきました。下の子は小学生になってもおむつがとれない(寝るときに自分でつけている)ので、大学病院の「子供のこころ」診療にかかっていました。でもまあ、結局のところ話を聞くだけではよくわからなくて、もう一度泌尿器科で膀胱の機能の検査をすることになりました。
上の子は、今年になってから保健室登校やら、心身症?やら、いろいろ表面に問題を出してきてくれています。いつもかかっている精神科医(主治医)では子供は診られないってことで、別の医者にかかったりしています。
子供は子供なりに悩んだり苦しんだりしているのでしょう。
父親という立場からは、子供に対してできることは、結構限られています。接する時間も母親にくらべて少ないです。問題に対して「沓を隔てて痒を掻く」という感じでもどかしく感じます。
だからこそ、自分で解決できない問題を抱えながら、そのことで悩まないということが必要なんだと思います。不安になって騒ぎ立てたりしても、結局は何の解決にもならないのですから。
酒をやめて年数が経てば経つほど、生きていくのが楽になるもんだと思っていました。でも、決してそうではないのですね。人生良いときも悪いときもある。厄年を無事切り抜けたと思っていたら、こんなものです。「ぼちぼちでんな」というメールをいただきましたが、まさにぼちぼちやるしかないのでしょう。
幸い僕にはAAというものがあって、そこのミーティングで愚痴を言ってみたり、人生論をぶってみたり、勝手なことを言っております。それで救われている部分がたくさんあります。
子供にはそういう場所がないから、表に出てきた症状だとか、わがままという形で表出したものを受けとめてあげるしかないんだろうなぁ、と思うのであります。
自分のうつについて思うことは、やっぱり十分睡眠をとらないといけないなぁ、ということであります。週末にまとめて寝て身体の疲れを取るというやり方では、もう体力がついていけなくなっています。睡眠不足の頭を酷使して高いテンションをキープしながら仕事をする、というスタンスがうつの元になっていることは否定できません。
やっぱりライフスタイルから変えていかないといけないんだろうなぁ・・・、とは思うのですが実行に移すのが難しいのは何もAAのプログラムに限ったことじゃありません。
「心の家路」も、どんな人が訪れてくれるのかこちらから分析することはできないのですが、人数は平日で150人ぐらい、週末で100人ぐらいが訪問してくれます。「えんぴつ」を直接訪問してくれる人が20〜30人ぐらい。「さるさる」もまだ10〜20人が訪問してくれます。写真日記「心の家出」は10〜15人くらい。
訪問を受けるからには、新しいなにかをそこに用意しておきたい。そんな気持ちで、あまり気負わずになるべく毎日書くことにしております。そこにあるのは、ひいらぎが自分でインターネットに出しても良いと思った自分であり、それ以上でも、それ以下でもありません。
楽なときには偉そうに傲慢で、苦しいときには苦しいなりにちょっぴり謙虚に。
僕はたくさんの問題を抱えながら、これからもどたばたやって、苦しむまいとしても、結局は苦しみながら生きていくのでしょう。それでいいのだと、思える今日このごろであります。
今日は仲間のバースディ。
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