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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月29日(金) ステータス・シンボル こんなことをお前が書いていいのかよと言われそうですが、書かないでおくのもストレスなので書いてしまいます。
プログラマーなんで、ステータスという言葉はよく使います。statと縮めてスタットと呼ぶことも多いです。体調が悪いのは「スタット悪りー」という表現であります。
ステータス(status)ってのは、元来の意味は「(社会的)地位」であります。ステータス・シンボルってのは社会的地位の象徴で、たとえば家だったり、車だったり、職業であったり、そこでの階級であったり、金であったり、もっと抽象的なものでは「家柄」とかいうものだったりするわけでありましょう。
ステータスを求めるというのは、神が人間に与えた本能でありましょうから、ステータス希求心を否定することは愚かしいことだと思います。でも、なにごともゆきすぎはトラブルの元です。
男というのはステータスを過剰に誇りたいという病気をもっているのかもしれません。いや、持っているのでしょう。
依存症という病気は、肉体的な生命だとか、精神的な生命だとかを蝕む病気ですが、社会的生命=社会的地位をも蝕む病気であります。ステータスを失っていくのも病気の進行であります。収入を失い、家族を失い、住む家を失い・・・。その中に「底つき」を見つけられる人は、幸運なのでしょう。
ステータスは失われても、ステータスを誇りたいという気持ちは失われません。しかし、金は「経済的な回復は霊的な回復より先にはやってこない」ことになっていますし、社会的信用や地位なんてものはもっと得にくいものです。が・・・。
男がほしがるものとして、金・名誉・女の三つをあげるのは類型的すぎるでしょうか?
金も名誉も失い、簡単には取り戻せないことを悟った男が取る行動は・・・、女をステータス・シンボルとして獲得するというものであるかもしれません。「俺は落ちぶれ果てたが、まだ女に見向きもされなくなったわけじゃないぞ」と思わしめてくれる存在です。
そんなことを意識的にも、無意識的にも考えている男を、わざわざ選び取る女がいるはずはない・・・と思うのですが、女というものは不思議なものです。僕は女になったことはないのでその気持ちは分からないのですが、ともかくそういう男とくっつく女も広い世の中には、(いや狭い自助グループの中にも)いるわけです。
しかし、女というのは(と一般化するとまた怒られるんだろうけど)リアリストであり、冷静に戻るのも早い。ところが男というのは、いつまでも夢見がちな気分でいたりする。女の変節を責めていても、実際にはステータス・シンボルを失う痛みや、プライドの痛みに苦しんでいるだけだということは、本人に理解できないというか理解したくない。
変えられない現実を無理に変えようとすればストーカー行動になるし、プライドを傷つけられた痛みは相手に対する何らかの復讐行動になったりします。
まあ、こんなことを書いても何も裏付けの事実があるわけじゃないので、妄想と言われても、でっち上げと言われても仕方ありません。
自助グループにたどり着いた時、そこは性別の問題だとか、社会的地位の問題だとかを越えて、もっと大きな問題の解決を目指すために、みんなが仲良くできる理想郷なんだと思いました。でも現実は理想通りではないし、暴力やハラスメント防止のガイドラインができると言うことは、現実がガイドライン通りにいっていないことの証拠であります。
だから幻滅したかというと、あんまりそうでもない気がします。ひとりで飲んでいた頃に比べれば、人間が好きになったと言うことかも知れません。
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