ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月08日(木) 百人のAAがいれば、百のプログラムがある AAミーティング、テーマは「助けなしには手に余るもの」。
「神は、自分で助かろうと努力する者に、よりいっそうの援助の手を差し伸べるのだ」
最近つくづく思うのは、回復のプログラムは、本当に皆、違っているなということであります。「百人のAA(メンバー)がいれば、百のプログラムがあるのだ」という宣言を、文字通り感じているものであります。
AAの窓口は広く、そして奥行きも深い(現実はともかく、理想はそうあるべき)です。そこにはどんな考え方でも受け入れる余地があります。そして、お互いの議論についても決して悪とはされていません。
Grapevineを読んでいると、まったく逆の見解が書かれていたりして楽しいものです。たとえば金銭に対して無力であることをどう受容するかについて、ある号でシングルマザーの女性が記事を書いていたかと思うと、2号あとにはまったく逆の見解の記事が載ったりします(どの号だとは聞かないでね、もう忘れてるから)。
アルコールの問題もあるけれど、主に薬物の問題も抱えた人が、AAミーティングで薬物の話をするのも許されることが、そうでないことかも、一致した見解もないようです。
私たちは自由を与えられていることは間違いないようです。
一つ心得ておかなければならないとするならば、私たちは、人のソブラエティのありように判定を下すような「ソーバー評論家」になってはいけないということです。自分の物差しで他人を計るということは、他人の物差しで自分を計るのと同じぐらい馬鹿げたことであります。
僕も「あのような考え方は苦しそうだ」とか「あのように親分子分をやっていつまでも安定していられるんだろうか」などと思うばかりか、口にしてしまうことも少なくありません。
「ステップの本の121ページ」とだけ単純に教えていただきました。AAメンバーに対して、好き・嫌い、合う・合わない、一緒にやれる・やれないという違いは、相手がもたらしている問題ではなく、自分の内部の問題なのだと。
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