ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月06日(火) だから今日一日 祖母が死んだのは、盂蘭盆の頃でした。
寝たきりになっていた祖母の部屋と廊下を挟んで反対側の部屋で、僕はアルコールと抑うつで寝込んでいました。「うちには寝たきりが二人いる」と言われたものでした。自分が寝たきりだったのに、孫の心配をしていた祖母でした。
祖母が死んだのを聞かされたのは、アルコール専門病院に入ってひと月たった頃でした。病院のスタッフから伝言を受け取って、僕は約一ヶ月ぶりに世間へと戻り、たちまちのうちに酔っ払いました。泥酔して葬式の手伝いなどロクにできず、喪服のネクタイもまともに結べませんでした。
父が死んだのは、その一年余り後でした。
狭心症の発作で倒れた父。お酒は一合ぐらいなら血行を良くしていいけれど、タバコは厳禁と医者に言われていたのに、僕の手前、酒は飲まずタバコを吸っていた父は、数日後「寒い」と言ってコタツで寝た翌朝、固くなって見つかりました。実はその間も僕はずっと隠れて飲んでいました。
父の葬式の間は人の目もあって飲めませんでした。禁断症状でぶるぶる震える手で、ビールを注いで回っていました。がたがたと震えながら、目の前の一杯が飲みたくてしかたありませんでした。式が終わると日本酒が十八本余ったので、一本ちょろまかして自室に隠しておきましたが、母がちゃんと数を数えていたようで「すすむ、返しなさい」と言ってきました。僕はなんだか父にすまないような気がして、素直に返しました。
それが、自力で酒を切れた最後の経験となりました。
だがそれも3週間あまりで、飲酒へと逆戻りすることになります。春になる頃、僕は精神病院の中にいました。
その後何年間かは、祖母と父の○年忌というのが続きました。おまけに妻方の祖母や大叔母が亡くなり、葬式やら法事やらがちょくちょくありました。仏式の法話というのは、教会で立ち話をした神父さんの話と良く似ていました。
どんな日を送っていても、死は人に平等に訪れるものであります。だから今日一日。
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