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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月01日(木) 自己信頼の難しさ 仕事を一日休みました。
身体の疲れ、頭の疲れなど理由はいろいろありますが、「とても職場に行く気になれなかっただけ」という単純な理由であります。
実は火曜日に社長夫妻と打ち合わせがあり、4〜6月期の売上げがこれだけであり、7月〜9月の売上げ予想もこれだけであり、これではとてもやっていけないという話を聞きました。だからといって、僕に何が出来るわけでもありません。自分はあくまでも技術者としてここに雇われているだけであって、もはや当事者能力を失った社長の代わりに経営に従事しようという気にはとてもなれませんし、その能力もありません。
このまま会社をたためば社長夫妻は破産でありましょう。それは避けたいでしょうから、溺れる者は藁をもつかんできます。しかしつかまれたほうはたまったものではありません。金銭問題は、僕のソブラエティにとって最大の弱点であります。それを認めるのにやぶさかではありません。だからこそ、とてもじゃないけど他人の借金のことまで気にしてはいられません。相手がどんな恩人であろうと、そこのところは切り離して考えなくては、自分の「第一のもの」を守ることができません。
しかし自分は、そのところをすっぱりと割り切って平気な顔をしていられる人間ではありません。それは良いことであるかもしれないし、悪いことであるかもしれません。
以前フリーランサーをしていた自分は、自分ひとりで商売をするということの辛さを良く知っています。りーまんの良いところは、今月の自分の給料について、究極の責任を取らなくても良くて、その日に給料が支払われることをシンプルに期待して待っていて良いということです。不満があっても仕事をやめないのは、その一点につきます。だが、その前提が崩れてしまえば、りーまんであるメリットを感じられません。人様の給料のことまで心配するなんて、自分にはとてもできないことですから。
人の上に立つことは自分には向いていません。以前仕事量の割り振りをしているときに、部下から「あなたが優れていることは認めるが、皆があなたと同じだけの能力を持っているわけじゃないことは忘れないで欲しい」と言われたことがあります。そんなことに気付かなかった自分の愚かさよ。
不思議なことは、自分の能力の限界について、大方の人は「それでもかまわない」という一定の満足感を持っていることであります(一方で金銭的な評価については不満を持っているわけですが)。
僕の最もなりたくない立場は、人様の給料について責任を持つ立場であります。そんなことになるなら、自分ひとりの稼ぎに自分ひとりで責任を持つほうが「はるかに楽」であります。しかし、決定的な破局が今の会社に訪れるまでは、そこに留まるのが一番賢明な選択だということも理であります。しかしそれは心が疲れる道でもあります。
そんなことに耐えられなくなって、一日休んで寝ていました。布団の上だと良く眠れました。意味不明な夢をたくさん見ました。
僕も、自分の能力の限界について、一定の肯定感を持つ必要があるのかもしれません。
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