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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月30日(水) 自戒 全国の精神病床数(ベッド数)は36万ほどです。
その患者数のほとんどが統合失調症の人で占められているのも確かです。
アルコール専門病院ではなく、一般の精神病院に入院したことのある人は、「統合失調症の人はこういうもの」というある種の固定観念を持ってしまいます。それは病院という閉鎖空間でいっしょに生活を続けたのだから、やむ得ないことでもあります。
統合失調症の人口罹患率は1%だといいます。日本には120万人あまりの患者さんがいることになります。病院のベッド数と考えてみると、患者さんの4人に3人は病院の外で社会生活をしているわけです。社会生活が営めないほど病状が悪化した人だけが(開放病棟とはいえ)病院という閉鎖空間に収容されるわけです。「こういうもの」という固定観念は、実は病状が悪化した状態だけから形作られているのです。
とはいえ、「理由もなくいきなり殴りかかってきたりはしない」ということも知っているわけですから、あながち偏見ばかりとは言えません。それと、「ああいう人と一緒にしないでほしい」という人もいますが、違うアルコール依存症という病気とはいえ、それが社会生活が営めないほど悪化して、病院という閉鎖空間に収容されたという点では同一なので、そういった意見に同情しようという気にはなれません。
僕はうつ病でありまして、特段それを隠してはいませんが、明らかにしてもいません。隠さないのはうつ病に対する社会の偏見が減ってきているからであり、明らかにしないのは、そうは言ってもうつ病であることを明らかにして就職することは難しい世の中であることも知っているからです。
うつ病の人間は、基本的に薬を止めて健康に生きたいと思っています。というか、ともかく薬は止めたいという願望は持っています。
統合失調症の人はもっと強い社会的偏見にさらされています。だから、たとえAAの中であっても、そうだとは明らかにしない場合が多いでしょう。彼らはかなり強い薬を飲んでいる場合も多く、副作用に苦しみ、そしてなによりも「薬を飲みたくない」という願望を持っています。彼らの姿が、精神病院で見慣れた「こういうもの」と明らかに違っているので、そうした病気を持っているとはとうてい思いつかないものです。
アルコール依存の私たちは、薬物依存にもなりやすいということは皆がよく知っています。だから、薬を大量に飲んでいる誰かが「調子が悪い」と訴えると、脊髄反射のように「薬は飲まないにこしたことはない」という提案をする誘惑に駆られます。だが相手は「薬を飲むな」と言ってくれる誰かを探している少ない例なのかもしれません。
果たして自分は相手のことがよくわかるだけミーティングを一緒にしただろうか? 何かの見落としをしていないだろうか? 提案をする前にそのことを誰かに相談してみたほうがよくないだろうか?
関係者交流会などに出ると、AAメンバーが医者の代役をしたおかげで命が失われたという批判を受けます。私たちはそれを謙虚に受け止めたほうがいいでしょう。
「見わける賢さ」は祈るから与えられるわけではありません。提案とは、自分が生きるわけでもない人生のことまで考えることを意味しています。アル中は本気で考えることが苦手です。なにせ、目の前の一杯を飲んだら自分の人生がどうなるかすら「考えることを長く拒否」してきたわけですから。
一昨日の朝の電話は、「AAが人を殺した」という電話でした。内容はここに書いたものと違いますが、考えなしの提案をまじめに受け取りすぎた人が自ら命を絶ったという話であります。今に始まったことじゃありませんし、珍しいことでもありません。僕だって失敗を繰り返す人間であります。こんなことを書くのも自戒のためであります。
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