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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年06月28日(月) 考えろ、考えろ、考えろ 朝、仲間からの電話で起こされました。
普通の人であれば起きていて当たり前の時間帯でしょうが、僕にとっては寝ていて当たり前の時間帯です。18秒経っても僕が携帯に出なければ、ボイスメッセージセンターへと飛ばされるように設定してあります。センターが「メッセージ預かり」のメールを送ってよこす頃、やっと僕は布団から抜け出しました。こんな時間にかけてくる人物は、決して僕と親しい人ではありません。
こちらからかけなおすと、話題はアノニミティとAAミーティングでの性的嫌がらせや言葉の暴力の問題でした。アノニミティはともかく、性的嫌がらせや言葉の暴力の問題は、どこが取り扱うべきかと言えば、それはAAのローカルグループでしょう。まあ、グループにその能力がなければ地区委員会とか。
とりわけ複雑なのは言葉の暴力の問題です。
「先行く仲間から伝えられた言葉だから、これをそのままあなたに伝えます」というのは、聞こえはいいけれど単なる思考停止であります。経験も大切だけれど、原理も大切であります。もし先行く仲間からの経験と、原理が矛盾していたら、どうすればいいのか?
そこで悩んで考えるのがAAのプログラムの一部だろうと思います。
たとえば「毎日ミーティングに出よう」という単純な提案は、それ自体は悪いものではないけれど、それができない境遇の人間にとっては「無理強い」でしかありません。繰り返されるなら、それは単なるいじめになってしまいます。
同じ言葉でも相手によって、ありがたい提案にもなりうるし、単なる暴力にしかならないときもあります。「私たちが行っているのは提案であって、どう受け取るかは相手の自由だから」というのは自分に対する甘えを引き出すための、格好の言い訳です。
提案する側が、相手の立場を考えてあげて、どういう提案をするべきか、個別に悩むことが大切なプロセスだと思います。
「先行く仲間の経験」というのは、あてにならないことが多いものです。大切なことは自分で考えること。「考えろ、考えろ、考えろ」のスローガンどおりであります。一つの提案があれば、たいていその逆の提案も用意されているものです。
カルト宗教の特徴は思考停止して従うことだといいます。AAも「思い悩むのはやめて、経験を述べ伝えていきなさい」という単純化をしてしまうなら、カルトと同じであります。そして、カルトでは人を救うことなどできないでしょう。
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