ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月31日(月) 心の痛み・体の痛み 昨晩、偶然かかってきた電話にうつのことを相談すると、スピリチュアルな回復を目指すにしても、とりあえずは医者のサポートは欠かせないのではないか、という提案をもらいました。
また3時間しか眠れず、早期覚醒してしまい、早朝から社長の自宅に電話して、今日はいろいろとやらなくてはいけない仕事もあるけれど、どうか休ませて欲しいとお願いしました。社長も、病気で倒れて、服薬が欠かせないようになってから、なんとなく寛容です。
医者に行き、症状を伝え、どの症状をどうして欲しいのか相談しました。ゴールデンウィーク明けに自ら望んで切ったミラドールが復活しました(倍量)。夜のレスリンも倍量になりました。心の中の悲しみと不安感を取って欲しいと3回お願いしましたが、「あなたはアル中だから安定剤はだめ」とまっとうな答えをもらいました。最初の頃はともかく、今はまったく出してもらっていないです。
「ということは、処方してもらった薬が効くまでの期間は、この悲しみと不安に耐え続けろということですね」とたずねると、医者は「そうです」と簡潔に答えました。
月曜に昼間にヒマがある人に相談の電話をしました。とても助かりました。
「あなたは迷える一匹の子羊を救った羊飼いです」と伝えると、その人は自分がクリスチャンだと答えました。最近、クリスチャンの人に導きを得ることが多いです。これは単なる偶然なのでしょうか。それとも今まで僕が彼らの声に耳を傾けなかっただけでしょうか。
「あなたがいままでAAに使ってきた100の力を30にして、残りの70は他のことに使いなさい」
自己犠牲は美しいときもあるが、自分がそれに酔っているときは、こっけいでしかありません。
僕はAA以外のことにも生きがいを感じることに負い目や罪悪感を持っていました。でも、生きがいはたくさんあるに越したことはありません。
僕はラウンドアップで、いろいろなことに気づいてしまいました。気づきたくなかったことまで気づいてしまいました。でももう、それは知らなかったことには戻せません。
夕方からAAミーティング。苦しいときには、誰の言葉も心に入ってきます(逆に言うと苦しくないときは、人の話に好き嫌いがあるわけです)。みんな大好きだよ、と言いたくなりました。
ミーティング後のちょっとしたアクシデントで右腕を火傷してしまいました。ちょっと皮がむけたところがあるだけで、あとは真っ赤になっているだけです。水で冷やすと痛くないんですが、右腕の回復はちょっと焦っちゃいます。
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