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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月28日(金) 予定稿(金曜夜用) だいたいラウンドアップに行こうという動機が実にうつ病の人間らしい考えから来ているのです。例えばラウンドアップは楽しいからとか、回復を得たいから、ヒントを得たいから、人と交わりたいから(たとえそれが麻雀卓を囲んででも)というのなら、それはまさに純粋な動機です。
しかし僕はラウンドアップにそんなに行くほうではありません(疲れるし)。大体2年に一回のペースでしか行っていませんでした。しかし去年は一回、今年は二回参加することになります(一回は実行委員だけど)。なぜ急に回数が増えたのかというと、それは役割が割り当てられたからであります。どこへでも極力顔を出す役目があります。そこで何が起きているのか知り、人々と話をすることが大切だということになっているのです。
だから僕はラウンドアップ「にも」行きます。でもその理屈に得心が行っているかというと、心の奥底まで納得しているとは言えません。だから、自分が十分活動しているということを、まずは自分自身に納得させ、そして出来れば他の人にもそう評価してもらいたいという動機付けが行われます。だから、ラウンドアップに行く動機が純粋ではありません。
もちろん行けば楽しむでしょう。得がたいものも得るでしょう。そのことに疑いはありません。でも、「自分が納得できていない責任を果たすため」そして「自分が無能力者でないと証明するため」という不順な動機が混じりこんでいると、どこか隙間風が吹いてしまいます。
けれども種をまいたのは自分です。刈り取ることは簡単です。動機と目的を今からでも「楽しむこと」に切り替えてしまえばいいわけです(じっさいそれが簡単にできるほど器用な人間ではありませんが)。
久しぶりに会う仲間もいるでしょう。よく顔をあわせる仲間ともっと長い時間行動を共にするのもいいかもしれません。いつだってたいした目算もなく、出たとこ勝負で生きてきたんじゃなかったっけ。
人間の心の奥底には、人間では埋めることの出来ない間隙があるといいます。ラウンドアップがそれを埋めてくれる人もいるのでしょう。残念なことに僕はそうではないし、なれるとも思いません。だからといってひがんでみても仕方がありません。
時間と言う無限の力を持った神様が、なにもかも押し流して行ってくれるでしょう。来年からはまた2年に一回のペースに戻ればいいだけです。
まあともかく、元気はありませんが、ラウンドアップに行ってきます。
無理に楽しもうとせずに、仲間の中を漂ってきます。
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