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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月04日(火) オフコース・AA・イズ・カルト ふと考えたのですが、人を「無条件降伏」にまで追い込んでおいて、その精神状態に対して「ほらこの手段なら助かりますよ」とやる点では、AAもカルト宗教も変わらないのじゃないかと思います。
もちろん、人を追い込むのは「酒」であって、自助グループでもなければ、医者でも家族でもありません。でも、「もう一度彼が酒に打ちのめされるまで、自由にやらせてみようじゃないか」とか言って、ほったらかしておくのがAAのやり口です。
そして、「もうえり好みができないことは分かりました。煮るなり焼くなり好きにしてください。助かるんなら何でもします」(ここまで塩らしいせりふを言いながらAAに来る人はいませんが)という状態になってから、ゆっくりと「ステップ」でもって調理するわけです。
これで、AAという団体が「不浄の財産を喜捨して出家しなさい」とでも言えば、完全なカルトであります。でも、AAメンバーはAAになかなか金を出しません。
しかし、「出家信徒みたいな連中が偉そうにあがめられている」と言われると、一概には否定できない面もあります。ホーリーネームみたいな変な名前を使ってるし。「12のステップは社会復帰のステップだ」とか言いながら、社会復帰どころか人生がAAになっている連中ばっかり目に付かないか? と問われれば、そういう面もあります。
あえて反論させてもらうなら、そうした「出家信徒的メンバー」は、老若関係なく何らかの理由で、社会通念的な欲を捨てざるを得なかった人々なのです。社会の中で一定の地位を占めるとか、財産を築くとか、まばゆい家庭を持つとか、そうした価値観での幸福の追求を、もはや望まない(望めない)人たちが多いのです。
また、AAというのは入るのも出るのも自由なのです。そして、飲まない生活を成し遂げた人のかなりの部分が、数年のうちにAAから出て行ってしまうのは事実です。歴史の長いアメリカのAAでは、彼らもいつかは戻ってくることが経験として知られていますが、日本のAAはまだそこまで歴史の積み上げがありません。
出て行くならご自由にどうぞ、というのですから非カルトであります。でも残った人間がカルトっぽさを出しているのかもしれません。するってーと僕は在家信徒かな。でも、AAの人間てのは俗っぽくてバタくさくて宗教的でないし、組織だって行動するのが苦手でカルト的なこともまるで出来そうにありません。
AAをカルトだという人間は、実際にAAを見たことがないのでしょうね。
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