sex and the city - 2004年06月25日(金) 木曜日、いつものように11頃に出て、ロードアイランドに着いたのはいつものように夜中。翌日はナターシャの CT スキャンのアポイントがあった。費用がロードアイランドならニューヨークの3分の2だから、デイビッドはロードアイランドでアポイントを取って、今回のロードアイランド行きはそれが一番の目的だった。 ナターシャの癌はやっぱりかなり進んでて、CT スキャンのフィルムを見ながら少しショックを受ける。終わってからナターシャを病院の前のお庭で歩かせてると、泣きそうになってデイビッドの腕に頭を押しつけた。「どうしたの? 僕は予想してたよ」。そう言ったデイビッドの顔を見上げたら一気に涙が溢れて、デイビッドの胸にしがみついた。まだ信じられない。ナターシャがいなくなる日がもうすぐ来るなんて。ここの先生もラディエーションを勧めた。それは特殊なラディエーションで、マサチューセッツかニューヨークの癌の専門病院でしか受けられない。わたしたちは、まだ迷ってた。まだ決められなかった。ステーキハウスで遅いランチを食べたあと、デイビッドはナターシャ用にステーキディナーのテイクアウトを注文した。そしてナターシャの大好きなレイクに連れて行く。Another happy day, another happy day, another happy day.... うちに戻ったら、土日に来る予定だったデイビッドの両親がもう来てた。日曜日の父の日にはマサチューセッツに住んでるデイビッドのお兄さん家族もやって来た。 デイビッドは恵まれてる。あんなに素敵な家族がいる。デイビッドとわたしは不思議なくらいたくさん共通するものがあるのに、信じられないほど違うのが家族。わたしはデイビッドの家族が好きだ。大好きだ。お父さんも弟のダニエルもお兄さんのマークもお義姉さんのデニースも大好きだけど、お母さんがとりわけ大好きだ。そして、家族の愛し合い方が大好きだ。 日曜日の夜には両親もお兄さん家族も帰ってって、またデイビッドとふたりの時間になる。月曜日に帰る予定だったのが、一日延ばして二日延ばしてもう一日延ばして昨日の夜までまる一週間いた。7月に仕事に戻るわたしのためにデイビッドが作ってくれたバケーション。「今まで誰かと7日間も一緒に暮らしたことはないよ」ってデイビッドは言った。 一緒に買い物に行って一緒にビーチに行って一緒にお散歩して、一緒に図書館に行って一緒に自転車に乗って一緒にキャッチボールして、一緒に食べて一緒にバイオリンとピアノを弾いて一緒にお掃除して、一緒にテレビを観て一緒に映画を観て一緒に夕日を見に行って、そしていつもナターシャがわたしたちと一緒にいた。デイビッドが仕事をしてるときは、わたしはアップルジャムを作ったり、ナターシャのごはんを作ってふたりの食事を作って、ハーブのガーデンのお水まきをしたりひとりでキーボードを弾いたりお庭で体を焼いたり、そこにもいつもナターシャがいた。 ふたりで殆どアディクトになって、毎晩借りて来て観た「sex and the city」。わたしはテレビを見ないけど、自分も観たことないデイビッドは「5年もやってて一回も見てないなんてバカだったな」って面白がって観てた。面白い。面白いけどなんでこんなにムカつくんだろって思ってて、気がついた。ムカつくのはキャリーがわたしとおんなじにミゼラブルな女だからだ。デイビッドはリアリスティックじゃないから面白いって言うけど、わたしはリアリティにほど近くリアリスティックだと思った。薄っぺらで空っぽでフェイクで、虚構に酔いしれてるうちにそれが現実だと思い込む果てしなく勘違いな生活。心を求める者の負け。心を見せるものの負け。リアルじゃないリアリティ。 「ニューヨークの恋」とか「ニューヨークの生き方」とか「ここはニューヨークなんだから」とか「ニューヨークはなんでも可能だ」とか、そういうセリフが溢れてて吐きそうになる。意図的な皮肉であればといいと思うけど、どうも「sex and the city」は「上手に恋をするためのテキスト」らしい。そうしてこの「ニューヨーク病」は大人の予備軍と恋にマチュアになれない大人たちとニューヨークに憧れて移り住む外国人を蝕んで行くんだ。 ずっとこの街を好きになれなかった。そしていつのまにかそれを忘れてた。 好きになりたかったし、好きになったと思ってた。 なのにまた逆戻りしてる。 「天国から地獄に帰って来たみたいだよ」。 今日メールを送ったら、 「同感。ニューヨーク・シティは嫌なとこだね」って返事が来た。 ロードアイランドはわたしの幸せの国。 デビッドとナターシャと3人で暮らせるところ。 それだけが現実ならばいいのに。 -
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