どんな人にも神さまがいるから - 2003年05月11日(日) 金曜日に、教会のブルースと食事に行った。ブルースはうちから歩いて10分ほどのとこに住んでて、もう半年以上もここに住んでるのにまだこの辺りをよく知らないわたしのために「あちこち連れてってあげるよ」って言ってくれてた。 食事をしながら、わたしはディーナのことを話した。全然知らない人で、突然呼び止められたことから話した。この前話したときには「友だち」って言って誤魔化してた。 ブルースは真剣な顔をして聞いてくれてて、わたしは「不思議でしょ? なんだかちょっと気持ち悪いでしょ?」って言い訳するみたいに言いながら。全部を話したわけじゃない。true love のこととか結婚のこととか、そういうのはバカにされそうで話せなかったけど、ブルースはいろんなことを質問してわたしはそれには正直に答えてた。 「信じてる? そのディーナのこと」 「わかんない。わかんないけど、何かあったら会いに行きたくなる。ディーナのことは、正直言ってほんとによくわかんない。だけど、神さまがあたしを助けてくれるためにディーナに会わせてくれたんだと思ってる。お祈りすることも神さまを信じることもディーナが教えてくれたから」。 それはほんとにそうだと思ってる。 「僕もほんとにそうだと思うよ」ってブルースは言った。 今日は、教会が終わってからアンナのところに行った。聖書のことがよくわかんないって言ってたわたしに、アンナは一緒にバイブルを読んでくれるって言った。ゴスペルの John のところを一緒に読んだ。ちっちゃい子どもみたいにたくさんたくさんアンナに質問して、少し解りかけて来た。ジーザス・クライストの意味が。 アンナは話してくれた。自分にも、何もかもが淋しくて辛くてどうしようもないときがあって、友だちをたくさん作って新しい恋をしてボーイフレンドとたくさん出掛けて、スポーツをたくさんして、一生懸命抜け出そうとしたけど満たされなかった。そして神さまに聞いたの。どうして自分は満たされないのか。どうしてこんなに淋しくて哀しいことばかりなのか。神さまの答えはね、満たしてくれるのはたったひとつ、神さまだけだってこと。神さまに全てを委ねたら、何もかもが変わった。それから、それまで習慣的なクリスチャンでしかなかった自分が本当の信仰を知ったの。 わたしには、自分が今信じようとしてるものが信仰なのかどうか、まだわからない。 ただ、いつか聞こえた天国にいるあの娘の声を今でもときどき思い出してる。 「ママの人生は幸せなんだよ。苦しいことがあったとしても、それはちっぽけなことなの。病気であんなに苦しかったことなんかなんでもないことだったんだって、あたしはとても幸せな人生を生きたんだって、今あたしが本当にそう思えるように」。 いつかカダーのルームメイトが言ってくれた「大したことじゃない」ってのもときどき思い出してる。 ディーナのおかげで神さまの手の中にいることの意味がわかった。神さまの手の中では、わたしの悲しみも苦しみもほんとにちっぽけなものなんだって思えるようになった。そして、確かなことは、神さまを信じてお祈りし続けて痛みが消えたこと。 わたしは弱虫だから、それでもまだちょっとしたことでダメダメになっちゃうけど、神さまを呼ぶといつも返事をしてくれて、優しく包んでくれて、抱き締めてくれて、そしてわたしは赤ちゃんのように安心して眠れる。 神さまは全ての人のことを見てくれてるんだって。 背を向けてればわからない。呼ばれなきゃ神さまも返事のしようがない。 だけどどんな人にも神さまがいるの。たったひとつの神さまがいるの。 たったひとつの神さまが、ひとりひとりのためにいるの。 そんなこと、信じられないと思う。信じたくもないかもしれない。 でもね、騙されたと思って神さまを呼んでみてごらんよ。 そしてお祈りしてみて。「わたしからこの痛みを取り除いてください」って。 一生懸命お祈りするの。きっと取り除いてくれると信じてお祈りするの。 神さまは待ってくれてるんだよ、それを。 それから、信じてみて。 まだ失っていないって。いつもそうだったように。 信じてみて。 大丈夫。絶対大丈夫だから。 神さまが助けてくれるから。 God bless you. -
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