21世紀猫の手日記
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2020年04月03日(金) 未来の事はくどくどとしつこく言われていたが、実感できないわけなのよ

んもっ、何でそんなこともわからないのよっ!!と面識のある人間全員に

叱られて呆れられても仕方がない勢いなんだけど、自分の未来、老後。

全く考えられませんでした。


口では一応適当な事は言えてたと思うけど、実際考えられていたかというと、

いやもぅ、それ無理だったろうな。と思う。

家のローンが終わったり、子供が就職したりするような未来は、無かったからだ。


この日記を書き始める以前のZAZAに問題が激しくあった。

……、小学校高学年の時にすでに自分に未来があるとか、

希望があるとか、自由があるとか、全く思えなかった。

中学校になると、それはさらに深刻で全て親の命令どおり

にしなくてはいけなくなった。自分の価値観を持つ、たとえば

何かを好きになるとか、好きな服を着たいとか、そういうことは徹底的に

潰された。面白いからと何度も読んでいた小松左京の小説を没収されたりな。

ちなみに30年ぶりに返してもらったが、怒りがぶり返したわ。キッ!

親と離れて住んだ高校生活で、その絶望感というか、抑うつ状態は沈静化したが、

その後の同居でむちゃむちゃ悪化した。


本当ならそこからまた学校出て就職するまで、もう少し時間が必要だと

思った。それは、バイト先でもう少し会社っぽい人間関係の距離の取り方や


学生気分が抜けない人が多めのバイト先の方々から、

もうちょっといろいろ見とかんとと思ったことはたしかなのだ。


モラトリアムで就職したくないだけだろという説もあるが、高校の次で

学校を全力不適応してしまったのだ。それくらいしないと、社会に出る

気力も自信も回復しない。


ただ、自分で回復させようとしても、どうしても邪魔が入った。

親の命令だ。…結局、学校全てと仕事先を選ぶ権利が無かった。

やめる権利も、住みたい場所に住む自由もなかった。30過ぎまで…。


一つの仕事をやめるがために、他の学校へ合格して進学せざるを得ないという

謎の展開もそうそう人間やらないだろう。

ZAZAは無知だったので、保証人にならないと言われれば言うことを聞くしか

無いと思っていた。

選挙の投票も母の言う党に、入れざるをえなかったのだ。


……本当に死にかけてやっと仕事をやめることができたのだ。


え?そんなに人のせいにする?人のせいにするのは良くないってのは

重々承知。ただ、うちは相当おかしかった。

どうあっても避けられない部分も多かったと思う。

今気が付いただけマシだということにしたいのだよぅ。


とにかく、私の親は絶対揺るぎませんから。

も、この世で自分らが一番正しいから。

もう、なんでそうなの???と謎すぎるほど強固で正しい人たちなのよ。

気の毒なほど自分の考えを譲らないんだよなー。


そうなんだよなー。親と距離を置いたら、電車のってわざわざ来るし、

私が吐いても説教をやめない。母も一時おかしかったんだと思う。


自分でお金を稼げるようになっても、自分で人生を決めることができなかった。
ZAZAも弱いが、そうなるまで何年もオマエはダメだと言われ続け、すべての

希望や未来を考える気力を失っていた。距離置いたのに来るって怖いだろう。



もちろん、同じ環境でも希望を失わない人もいるだろうけど、自分の考え方や

感情の動きなんか徹底的に無視っつか痛めつけられるだけだし、

理詰めで常にZAZAが良くないという結論にしかならず、非常につらく苦しい

状態しかなったことがないから、

自分の未来なんか真っ暗状態でもしかたなかったかな。

……と思います。


褒められるとか、感謝されるとか2回くらいしかない。

落ち込むことや暗くなるのは悪いことだって知らなかった。


いつもいつも、親は私をどん底の気分にさせた。それが仕事みたいに。

趣味にまで文句をつけていたのだ。


せめてねぇ、全否定のあと自分で未来は探しなさいといってくれればねぇ。


なんすかねぇ、自分がここまで生きるとも思わなかったし、自分が存在して

いてOKとも思えなかったんですね。


そう思っていたことに気が付いただけ良しってことにしたいな。はは。


zaza9013

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