航海日誌

2001年08月14日(火) 例えていうなら、一期一会。

フォレストガンプでお馴染み、一期一会。
人との出会いはそんなものなのかもしれません。

最終日の14日は、まさに京都という最高な天気の中。
ペットボトル常備しなくてはどうにもならないという感じの中。
つつがなく……多分進んでいた。

朝、ホテルを出る。
前回うやむやにチェックアウトだったので、今回はしっかり
「チェックアウトお願いします。」ちょっと緊張して、声が上ずっているのには苦笑した。
わたしはこのホテルが気に入っている。

人の礼儀というのは、本当に人を心のそこから思わないとできないもので、とってつけたような礼儀よりも、その人の心から出た言葉が欲しいものです。

というわけでね、わりと気に入っているホテルなのです。(ただし民宿のお兄さん的感じですけど。)

そして、学校に行く。最終日は老人とも女性とも会わなかったバス停に、若い男の人がいた。
おそらく学校の人だけど、挨拶も話しもしなかったのは、ばかだったなぁと思う。

いつものように三日目もいつものコースで、学校にいく。

講評が長いのもいつも通りというか、最近では一番長かった。
しかも私の狙いとおり、作品がふだんの風景に溶け込んでいたものだから、先生も気がつかなくて、講評は一番最後だった。(大笑)
でも少しだけ疲れた心にユーモラスがいれれたら良いなって思ってたから、ちょっとだけなら成功したかな?

さて、帰る事典になって、実はもっと話したい人が多かった。
極度の緊張と、張り詰めた空気の中で、自らを表現することはとても難しい。

今回同じクラスだった人にメールアドレスを教えてもらったので、作品のメモと一緒に整理していきたい。
(私は作品で人を覚えるので、名前と顔が一致しないことが多く、そのせいか向こうは覚えているのだけど私が覚えていないことが多くて、ちょっとこまる。)

やっぱり、私が、私が、という人が多かったような気がする。
自己表現は悪くないのだけど、あまりに他を見ないで自分だけのことしか考えない表現方法はちょっと嫌だ。

帰りは名古屋の人が珍しくいたので(ほんとうに珍しく!)一緒に帰ることになった。
タクシーの中でお互いのことを話して、(バスがいつまでも来ないので。そして荷物が多いので。)帰ってきた。まだ私より年下の子だ。
なんだかんだと世話を焼きたがるのは母親に似たのだろうか?
それにしても、そういう自分がいたのだなぁと密かに苦笑した。

そういう私の過去な話しもしつつ、接客がいかに大事なのかを私なんぞが語っていたら。
タクシーの運ちゃんが、最高のもてなしをしてくれた。(笑別にそのために話していたわけじゃないんですよ。)
ありがとう。運ちゃん。ありがとう。
すばらしい人でした。
名前を覚えていないのが悔しいくらいに。

今回長く滞在したことが、自分にとってプラスであった通り、私は教育の資格も取る決意をした。いつになるかはわからないが、自分の中でのテーマを生涯かけて研究していきたいと考えている。
帰りの新幹線のデッキで、ぼんやり花火をみながら祖父母の町の花火を思い出した。
自らが立つこの地は、数えきれない程の人の手によって支えられているのだと思い、感謝した。
せつなくなるのは、夏だから…?

一刻一刻を後悔しないよう、生きていこう。

家へとひたはしるバスの中で揺られながら、明るい家の灯を脳裏に浮かべるのだった。







ら。
帰ってきたら、宴会だった。

母の会社の人が(社長婦人とか、同僚の人とか、)が。
いたりして。社交モードを崩さず御対面。

三人のうち、一人はあまり物事を考えない人、
一人は、物事をなあなあですませてしまう人(平和主義)
一人は自らが偉大だと思っている人。

まあよく集めた具合で、この人(母)の交友も大概だなと
思い、早めにベッドに潜り込んだのでした。


おわり。


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