午前中3時間ほど出校して仕事した。 昨日、意外にも採点が全部終わってしまったときは、 何となく、今週中にやるべきことが全部片づいたような感触だったのだが、 夜になってちょっと考えてみたら、まだ準備するものがあるのに気づいた。 月曜日のスケジュールはたいてい慌ただしいので、休日半日潰すことにした。
来週3日間の授業や出張の心配はなくなった。 授業に必要な準備を終え、出張の際依頼されるかもしれない文書も用意した。 精神的な負担がかなり軽減された。 さらに、修学旅行で訪問する施設から問い合わせの電話があった。 たまたまそれを取ったのは私だった。 事情のよくわかっている人間が出校していて、先方にとっても幸運だった。 我々には十全たる休みなどないのだということを痛感した。
さて、私などはここ数年部活動が暇になったので、 休日が満喫できるはず、しかし、休日に仕事を片づけに行く、という風だが 何年か前までは、部活だの何だので休日はないのがあたりまえだった。 夏休みも、会社勤めの人たちよりも休日が取れなかった。 実際、今でも吹奏楽部の顧問をしている人にはそういうのが多いし、 きょうでも、部活のためだけに出校している運動部の顧問g何人かいた。
教員免許の更新制などというものが決められようとしている。 10年に1回、30時間の講習を受けることによって更新できるそうだ。 いつ講習を受けるのだろうか? 初任者研修や6年目研修などは、平日に出張扱いだが、 こういうのはやはり、土日の休日や夏休みなどに行くのだろうか? これは実は、部活動の顧問などにとっては実にたいへんなことである。 実績をあげている顧問ほどたいへんである。 実際に生徒のために時間も労力もかけているのだから、 それで十分のはずなのに、おかしな制度ができてしまうと、 そういう実質的なものよりも、形式的な講習の方が優先されてしまう。
教員免許更新制については疑問だらけである。 大体において、免許の持続にはこれだけの条件が必要であり、 そのためにはこれだけの講習を必要とする、、、という論法ではない。 免許を更新制にしましょう、ただの書類提出では足りないから、 30時間ほど講習を課すことにしましょう、というだけのことだ。 だから、どういう講習をしようとしているのか、さっぱり伝わらない。 その講習を、どんな機会にどれくらいの頻度で開くのかもわからない。 10年目の人も20年目の人も30年目の人も同じ講習を受けるのか、 講習を受けさえすれば更新できるのか、 どう評価してどう審査して更新されるのか、何もわからない。 日の丸への敬礼や君が代を大声で歌うテストをやったりはしないだろうね? 晋三ぼっちゃんの下でこんな制度が決まったりすると、 どうも、内容面でさまざまな疑惑もわいてくるのである。
ざっと教員が全国で100万人いるとして、 単純計算で、更新すべき人数が10万人。 正規の教員以外にも免許保有者はいるわけだから、 その2倍とか3倍とかの更新希望者が存在することになる。 ひとつの県あたり、何千人もの人間が更新のための講習を受けるわけだ。 何十人単位の教室などで講習を開いたりしたら、 同一講座を100回近く開かなきゃいけない。 何百人単位の大教室を使えば、10〜20回くらいでさばけるにしても、 30講座を20回ずつ開いたら600講座、、、たいへんなことだ。 何千人も収容できる大体育館を使う?
つまらん心配をしているようだが、 (しかも私自身はあと10年もないので、この免許更新はたぶん関係ない) こんなところに莫大な金を使うなーー! と言いたいのである。 教育や福祉のために惜しみなく税金を注ぎ込む国ならともかくも、 日本の財政は、とにかく、ケチケチ教育財政である。 国は、こうしろああしろと言うだけ言って、金はやらん、というのが常だ。 内容的にも財政的にも、とにかく無責任なのである。
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