TENSEI塵語

2005年10月20日(木) 「防人の詩」

    「防人の詩」
  おしえてください
  この世に 生きとし生けるものの
  すべての生命に 限りがあるのならば
  海は死にますか 山は死にますか
  風はどうですか 空もそうですか
  おしえてください

この歌を初めて聞いたのは、大学時代だったか、
何かの映画を見に行ったときの、「二百三高地」の予告編だった。
大砲が炸裂したりドンパチやったりして、人が死んで行くバックに、
「海は死にますか 山は死にますか、、、」と問いかけているのだ。
大自然の営みの中にあって、何てつまらぬ争いごとをしてるんだ、という
思いに自然と満たされてしまった上に、
切々としたオーケストラ演奏も聞こえるわけだ。
もう、直感的に、純粋に、今までで最高の反戦歌だ、と感嘆したものだ。
映画だって、戦争を賛美する戦争映画なんて作らんだろうと思ってたし。。

ところが、後に、まさしくんがこの歌で「右翼」呼ばわりされているらしい
話を聞いて、びっくり仰天したことがある。
「二百三高地」がどんなテーマでどんな内容だったかは未だに知らない。
この歌がそんな風に非難されるほど、戦争賛美の映画だったのだろうか?
しかし、この歌の、どこが戦争賛美なのだろうかと、不思議でならなかった。

ついでながら、私はこの「死にますか」を二度繰り返した後の、
「〜はどうですか」「〜もそうですか」がたいへん気に入っている。


  私は時折 苦しみについて考えます
  誰もが等しく 抱いた悲しみについて
  生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
  病いの苦しみと 死にゆく悲しみと 現在(いま)の自分と

この部分は、全体の流れの中で、どうも内容的に違和感があるのだけれど、
「苦しみ」と「悲しみ」が交互に使われてあったり、
生・老・病・死という一般的なものに、「現在の自分」というのを
忘れずに入れてあるところが偉い。


  答えてください
  この世の ありとあらゆるものの
  すべての生命に 約束があるのなら
  春は死にますか 秋は死にますか
  夏が去る様に 冬が来る様に みんな逝くのですか

季節は終わるけれど、死にはしない。しばらく去ってしまうだけだ。
夏が去っても、秋が去っても、まためぐってもどってくる。
しかし、そこをあえて、「みんな逝くのですか」と問うことで、
二度と帰らぬ「人の死」への悔しさのようなものが漂うようだ。

先には「限りがあるのならば」と言い、
今度は「約束があるのなら」と言う。


  わずかな生命の きらめきを信じていいですか
  言葉で見えない 望みといったものを
  去る人があれば 来る人もあって
  欠けてゆく月も やがて満ちて来る なりわいの中で

そう、この無常の世で、我々はいずれ老いて死んで行くのだけれど、
この世に生まれ、今生きているということは、かけがえのない奇跡なのだ。


  おしえてください
  この世に 生きとし生けるものの
  すべての生命に 限りがあるのならば
  海は死にますか 山は死にますか
  春は死にますか 秋は死にますか
  愛は死にますか 心は死にますか
  私の大切な故郷も みんな 逝ってしまいますか

最後の熱唱部分に入った。
「死にますか?」の繰り返しが、胸に食い込んでくる。
「なぜ私は死にに行かねばならないの?」
「なぜあの人は死にに行かねばならないの?」と問うているようでもある。

冷静に科学的に言うならば、海も山も春も秋も愛も心もふるさとも、
いつかは消滅してしまうのだよ、と言うこともできる。
しかしそんな遙か先のことを考える必要はないだろう。
我々の素朴な生の感覚では、山も海も泰然として存在し続けるのだ。

海は死なない、山も死なない、風も空も死なない、、、
だのに、なぜ我々は死ななければならないのか、、、
そして、なぜ、その限られた命をさらに短くし合うような愚かな行為に
走ってしまうのか、、、人間たちは。。。


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