4週間前に、ホントに久々に聞き始めたのだが、 私の車の中ではまだまさしくんの歌が繰り返し繰り返し流れている。 こうして、100曲以上を聞き直してきたのだけれど、 あの最初の日に書いた「風の篝火」と「春告鳥」は格別心にしみるのだ。 伴奏とメロディーだけ聴いていても胸にしみるのだが、 歌詞も実に味わい深いし、まさしくんの歌声もぴったりな雰囲気だ。
「風の篝火」 水彩画のかげろうのような 君の細い腕がふわりと 僕の代わりに宙を抱く 蛍祭の夕まぐれ
水彩画は「淡い」の象徴だし、かげろうは「はかない」の象徴だ。 「君の細い腕」は、蛍をつかまえようとしているのだろうか。 ほんとうは「僕」を抱いてくれるはずなのに、、、 その姿は薄暮に霞んでいるせいでもあるけれど、 何だか、「僕」にとって「君」が遠い存在に感じられているわけだ。
時折君が散りばめた 土産がわりの町言葉 から回り 立ち止まり 大人びた分だけ遠ざかる
きらきら輝き覚えた 君を見上げるように すかんぽの小さな花が 埃だらけで揺れているよ
久々に都会から帰った「君」が変わったのは言葉だけじゃない。 それは、今までの手紙からも、薄々は感じ取っていたことだ(創作)。 それは信じたくなかったけど、今目の前にして、取り残された思いがする。 「君を見上げる」「埃だらけ」の「すかんぽの花」は「僕」の分身だ。 今も田舎臭いままで、「君」だけを思い続けている「僕」。。。
不思議絵の階段のように 同じ高さ昇り続けて 言葉の糸を紡ぎながら 別れの時を待ちつぶす
「不思議絵」といえば「錯覚」だ。 恋の苦しみには、錯覚がつきものなのだ。 本当はまだ自分のことを好きでいてくれるんじゃないだろうか、、とか。。。 けれども、この2人の場合は、いくら一緒に歩いても、言葉を交わしても、 もう何の甲斐もないことがわかっている。 それなのに、なぜここでこうして言葉を交わしているのか。。。 虚しい、、、虚しいのだけれど。。。
君ははかない指先で たどる明日のひとりごと 雲の間に 天の川 君と僕の間に橋がない
蛍祭は、6月下旬から7月上旬だという。 七夕の織姫と彦星には、かささぎの群が端を渡してくれるけれども、 君と僕のために飛んできてくれるかささぎなどはいないのだ。 とにかく「僕」は「君」の心が僕につながってないことを痛感するばかりだ。
とつぜん舞い上がる風の篝火が ふたりの物語に静かに幕を引く 降りしきる雪のような蛍 蛍 蛍 光る風祭の中 すべてがかすみ すべて終わる
「風の篝火」とは、日が暮れて突然現れる蛍の大群のことだ。 私はこの目で実際に見たことはないけれど、 宮本輝の「螢川」のラストで、実に魅惑的な光景を見せてもらった。 しかし、いくら無数の光に取り巻かれたところで、 蛍の光などは、所詮はかないものだ。 降る雪だって、淡いものだ。 「君」の姿も、もう淡くはかない彼方に行ってしまった。 もう、なにもかも終わりなのだ。 そして今は、なにもかもが涙でかすんでしまっているのだ。。。
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