きょうは高文連の吹奏楽の委員会で名古屋に出張。 先週の火曜日は吹奏楽祭の打合会で出張、来週の火曜日も県の理事会。。。 去年は出張というと喜んで出て行ったものだが、 今年はただでさえ少ない空き時間が潰れるから、仕事がたまるのでイヤだ。 さぼれない立場にいるから、ますます困る。
さて、帰り道は相変わらずまさしくんの歌が流れている。 「春告鳥」が流れ始めると、いつも精妙な詩に驚いてしまう。 2週間前にちょっと書いたが、書くべきことをほとんど書かずに終わってる ので、もうちょっと書いてみようという気になった。
先日ちょっと検索してみたら、 侘び助椿の咲く衣笠の古寺というのは等持院、 嵯峨竹の生える化野の古宮というのは野宮神社の可能性が高そうだ。 (そういえば、昔、黒木の鳥居、見に行ったぞ)
「春告鳥」 衣笠の古寺(ふるでら)の侘助(わびすけ)の たおやかに散りぬるも 照り映えて その人の前髪 わずかにかすめながら 水面へと身を投げる
鏡のまどろみの砕かれて 錦の帯の魚のふためいて 同心円に広がる紅(べに)のまわりで さんざめく私の心
侘び助椿の花びらが春の陽を受けながら池に落ちて波紋が広がる光景だろう が、何と凝った描写であろうか。 静かな水面を「鏡のまどろみ」と歌い、鯉を「錦の帯の魚」と歌う。 「鏡」「帯」「紅」と、何やら艶なるイメージを漂わせるではないか。 「同心円」というちょっと場違いな言葉が入らなかったら、 どんな光景を歌っているのか、さっぱりわからないのではないだろうか。
大事なのは、その波紋が広がった池のそばで、「私」の心も波立っている ということだ。 「その人」の(発した言葉の)ために動揺しているということだ。 侘び助が「その人」の顔の前をよぎることによって、 「その人」がさりげなく登場する。 そうして、池に波紋が広がる光景と、2人の男女の心が融和する。
映像美に凝った映画の一場面を見ているようなイメージだが、 実際に映画にしてみても、何のおもしろいこともあるまい。
ちなみに、椿の花は、花びらが散るのでなく、 花全体が首からボトリと落ちる、と聞いたことがあるが、 「たおやかに散りぬるを」はどう読んでも、花びらの散るイメージである。 侘び助は花びらが散るのかどうか、検索してもよくわからない。 「水面へと身を投げる」イメージは、ボトリの方が似合っているけれど、 花びらでもいっこうにさしつかえない。
化野(あだしの)の古宮(ふるみや)の嵯峨竹(さがたけ)の 降りしきる葉漏れ陽に きらめいて その人のこぼした言葉にならない言葉が 音もなくこだまする
「私」には「その人」が今も眩しく見えるようだ。 けれども、「その人」の口から、聞きたくない言葉を聞いた。 「その人」が、言葉にならない言葉を告げたのだろうか? それとも、「その人」がきっぱりと発した言葉は、 「私」の中でははっきりとした形を持たず、心に反響し続けるのだろうか?
それにしても、あだしの、ふるみや、さがたけ、はもれび、、という 美しい響きの言葉の連鎖が何ともいえない。
足もとにわだかまる薄氷(うすらひ)に もやめいた白い風たちこめて 春告鳥の問いかける別れに たじろぐ私の心
2人の間には沈黙の時が流れ、鶯の鳴き声が聞こえる。 その鳴き声が、「その人」の代わりに問いかけているかのように聞こえる、 そんなイメージだ。
春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く
古来、「春の夜の夢」といえば、はかなく短いものの象徴だ。 もちろん、ここでの「春の夢」は、恋のことだろうが。。。
古都の庭先 野辺の送り
いかにも静かな光景だ、、、「私」の心と裏腹に、、、あいかわらず。。。
ふり向けばただ閑かさ
別れがもたらすものは、何もかもなくなってしまったという虚ろさだ。 もう何もない、、、あるのは静けさだけだ。
・・・うーん、、、きょうは細々と書き過ぎちゃったなぁ。 作者が読んだら、そんなんじゃねぇぞ〜、と怒ることだろう。
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