| 2005年09月24日(土) |
校内暴力統計記事に思う |
私が教員になろうとしていた20年ちょっと前ごろは、 中学校の荒廃・校内暴力が大問題になっていた。 私はそれをいろいろ考えてみるに、子どもの自治活動を制限して 管理教育に走ったことが最大の原因だと考えた。 学生運動の盛んだった時代の反省から、物言わぬ子を育てようと、 庶民生活を豊かにする一方で、学校では子どもの自由を制限したのだ。 自ら考え、周囲に気を配り、奉仕精神豊かな子どもを育てるべき学校が、 言いなりになっておとなしくしている子どもを尊重するようになったのだ。 若いエネルギーと理不尽な管理との間に軋轢が生じるのは当然のことだ。 そんな思いを込めて、以前「理想の教育」という文を書いておいた。
http://www.geocities.jp/tensei128/educate.html
校内暴力は、その後あまり騒がれなくなったが、なくなったわけではない。 ただ、全体的な傾向として、主張のある反抗はめっきり少なくなり、 得体の知れない、何だかわけのわからない反抗が残ったという感じである。 ただ怠けたいから逆らう、ただ怒りたいから怒る、という感じである。 この20余年間の〈困った高校生〉のようすを比較しても、 20年前はそういう生徒こそいざという時頼りになったものなのに、 その後10年もしないうちに、〈困った高校生〉の多くはは軟体動物化して、 徹頭徹尾怠け者で、余計な羽目ばかり外すようになった傾向がある。
昨日の朝日の一面トップは、小学生の校内暴力の増加についてである。 2年連続増の1890件、対教師は336件の過去最多であるという。 しかし、報告しないですませるケースも多いだろうから、 これだけだと思ってはいけないし、言葉の暴力というのもあるはずだ。
この記事の報告の中で興味深いのは、教師に対する恨みによるのでなく、 喧嘩を止めに入った教師への暴力とか、注意した教師への暴力とか、 怒ってしまうと歯止めがきかなくなるという子どもたちの心性である。 見境がなくなるのである。 そういう子どもの多くは家庭で虐待を受けている、という指摘も書いてある。 それは大いにあり得ることだ。 あの校内暴力が社会問題だった時代の中学生がそろそろ親になっているのだ。 あの時代に救われないまま大人になって親にまでなってしまった者が、 我が子を大切にするかどうか、それはその人物の心しだいだけれど、 学校蔑視だけは十分に生き続けているはずである。 学校だけでない、彼らの反抗は理不尽な権威への反抗だったとしたら、、? そういう心性が、虐待され、その捌け口を他に求める子どもに伝染したら、 被害は教師にも及ぶし、近所のおじさんにも及ぶし。。。 歯止めなどなくなるのだ。
それだけでない。 子どもたちの心の変化を考えると、昔と今の遊びの違いに思いが及ぶのだが、 これについては、次回に譲るとしよう。
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