私は「もうひとつの雨やどり」の方を先に聞いてしまい、 後からもとの「雨やどり」を知ったので、長い間逆に思いこんでいた。 もとの「雨やどり」の方がパロディーとして作られたと思っていたのである。 このもとの「雨やどり」は、冗談まじりで笑わせる歌詞である。 歌い始めの歌詞は、「もうひとつの、、」と同じである。
それは まだ 私が神様を信じなかった頃 九月のとある木曜日に雨が降りまして こんな日に素敵な彼が現れないかと 思ったところへ あなたが雨やどり
こちらは結びがちゃんと「雨やどり」で終わっている。 家族に会ってもらうというストーリーになっていて、
でも爽やかさがとても素敵だわと うけたので 彼が気をよくして 急に もしも もしも 出来ることでしたれば この人をお嫁さんにちょうだいませませ
その後 私気を失ってたからよくわからないけど 目が覚めたらそういう話がすっかり出来あがっていて おめでとうって言われて も一度気を失って、、、 、、、気がついたら あなたの腕に雨やどり
こちらは小粋で洒落ているし、「もうひとつの、、」は余情が漂っている。 こちらもおもしろくていいけれどやはり「もうひとつの、、」の方が好きだ。
「駅舎」は都会に出て傷ついて故郷に帰ってきた(らしい)彼女を いたわるように迎える歌である。 この青年は、都会に飛び出して行った彼女を、 帰って来てくれるあてもないのに待ち続けていたのだろうか?
「駅舎(えき)」 君の手荷物は 小さな包みがふたつ 少し猫背に 列車のタラップを降りて来る
驚いた顔で 僕をみつめてる君は 夕べ一晩 泣き続けていた そんな目をしてる
故郷訛りのアナウンスが今 ホームを包み込んで
都会でのことは誰も知らないよ 話す事もいらない
驛舎(えき)に降り立てば それですべてを 忘れられたらいいね
重すぎるはずの 君の手荷物をとれば 身じろぎもせず ただ涙をこぼすだけ
ざわめきの中で ふたりだけ息を止めてる 口を開けば 苦しみが全て 嘘に戻るようで
季節のはざまで はぐれた小鳥が 時計をかすめて飛ぶ
泣きはらした目が 帰ってきたことが 君をもう許してる
驛舎を出る迄に 懐しい言葉を 思い出せたらいいね
改札口を抜けたならもう 故郷は春だから
この歌には、歌の後に新しいメロディーによる長い演奏が続いている。 あたかも、駅を出た彼女を春が迎えてくれたかのような音楽である。 歌全体が、この女性を優しさで包み込んでいる感じである。 そして、映画を見ているようでもある。
まぁ、このあたりからさだまさし再評価が始まったのだが、 その当時はカセットテープに入れたものを聞いていたので、 CDは2枚しか持っていない(しかも1枚は正規のものではない)。 長年迷っていたが、昨夜、まず10枚のアルバムを注文した。
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