| 2005年09月19日(月) |
「風の篝火」と「春告鳥」 |
朝、探し物をしていたら、さだまさしの「夢供養」が目に入り、 なんとなく久々に聞きたくなって、持って出て、仕事の行き帰りに聞いた。
私は歌を聞くときも、あんまり歌詞を聞かない。 洋楽だともちろんなのだが、日本の歌でも、メロディーさえよければいい。 歌詞に惹かれる歌は稀なのだが、さだまさしだと歌詞を聞かされてしまう。
たとえばこのアルバムだと、 「歳時記(ダイアリー)」とか「療養所(サナトリウム)とか 「パンプキンパイとシナモンティー」とか、 メロディーや雰囲気だけだったらほとんど聞く気にならない、おそらく とばしてしまいそうな歌なのだが、歌詞のためについつい聞いてしまう。 歌詞自体がひとつのドラマになっているからだ。 あの長大な「親父のいちばん長い日」や、「雨やどり」「駅舎(えき)」 などなど、何度でも聞いて飽きないのと同じだ。
このアルバムで、メロディーともども好きなのは、 「風の篝火」と「春告鳥」である。 車をおりてからも、しばらく耳から離れない。
「風の篝火」 水彩画のかげろうのような 君の細い腕がふわりと 僕の代わりに宙を抱く 蛍祭の夕まぐれ 時折君が散りばめた 土産がわりの町言葉 から回り 立ち止まり 大人びた分だけ遠ざかる
きらきら輝き覚えた 君を見上げるように すかんぽの小さな花が 埃だらけで揺れているよ
不思議絵の階段のように 同じ高さ昇り続けて 言葉の糸を紡ぎながら 別れの時を待ちつぶす 君ははかない指先で たどる明日のひとりごと 雲の間に 天の川 君と僕の間に橋がない
とつぜん舞い上がる風のかがり火が ふたりの物語に静かに幕を引く 降りしきる雪のような蛍 蛍 蛍 光る風祭の中 すべてがかすみ すべて終わる
・・・うーん、こうして書いてみると、聞いてただけのときより、 隙のない歌詞に感じられるなぁ。。。 ちょっとイメージが凝りすぎて、すぐにはわかりにくい部分もあるけれど。
「春告鳥」の方は、聞き始めたころ、歌詞を聞いていなかった。 言葉が難しくて、聞いていてもよくわからなかった。 ある時、「その人」「水面へと身を投げる」が聞こえて、ドキッとして、 じっくり聞いてみたら、別に自殺の歌でないことがわかって、 何度もこの歌のヒヤリングに挑戦したことがあった。 歌詞ごと味わえるようになるのに、いささか苦労した歌である。 実にしみじみした情緒で歌われる。
「春告鳥」 衣笠の古寺(ふるでら)の侘助(わびすけ)の たおやかに散りぬるも照り映えて その人の前髪 わずかにかすめながら 水面へと身を投げる
鏡のまどろみの砕かれて 錦の帯の魚のふためいて 同心円に広がる紅(べに)のまわりで さんざめく私の心
(要するにこれは、侘助が落ちて波紋が広がった水面を描きながら 「その人」のために動揺する私の心を暗示したんだな)
春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く 古都の庭先 野辺の送り ふり向けばただ閑かさ
(ここまでが1番だ。さらに2番)
化野(あだしの)の古宮(ふるみや)の嵯峨竹(さがたけ)の 降りしきる葉漏れ陽にきらめいて その人のこぼした言葉にならない言葉が 音もなくこだまする
足もとにわだかまる薄氷(うすらひ)に もやめいた白い風たちこめて 春告げ鳥の問いかける別れに たじろぐ私の心
春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く 古都の庭先 野辺の送り ふり向けばただ閑かさ
・・・別れの時を、こんな情緒で描けるのが不思議だ。 どちらの詩も、恋の終わりの動かしようのないどうしようもなさが、 ひしひしと伝わって来るではないか。。。
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