朝出る時からまずたいへんだった。 少々寝坊もしたのだが、出かける前に、きょうの仕事に必要な資料を PCから出してプリントアウトしなければならないことを思い出して、 その作業をしたりしているうちに、10分は遅刻という時間になった。 車に乗ろうとしたら、とっくに出かけた妻から報告が入った。 トンネルは閉鎖、岐阜市街に迂回しようとすると渋滞が動かない、、、 それで、かなり遠回りだけど、上流の千鳥橋から各務原市内を通って、 川島方面に抜けるコースを使った。 結果的に遅刻は30分くらい。。。 ま、休み返上で何度も出勤してるし残業も多いから、知らん顔した。
補習の準備だの、明日明後日の混成バンドの練習の準備だの、部活だの、 いろいろと仕事があって、ちょっと慌ただしかった。 それでも、「イン・ザ・プール」の読み残しの1編を読み終えた。 「いてもたっても」という題の短編なのだが。。。
ここには、煙草の火の後始末が、外出時に気になってしょうがない男が 登場するが、程度の違いはあっても、それは私自身でもある。
私は外出する前に、煙草の火の点検を数回する。 まず、灰皿とその周辺から煙が出ていないかを入念に確認する。 いったん部屋を出て、普通の空気を吸ってから、再度確認しに部屋に戻る。 それを2、3度する。 よほど確信持てる時はそれで終わりである。 たいてい、気持ちのゆとりのあるのんびり過ごしたときはそれで済む。 しかし、一心不乱に仕事していたときや、何か書いていたときは、 煙草も無意識に増えているから、いろいろと不安に取り憑かれる。 2階まで降りてから、また3階に戻って点検することもあるし、 いったん玄関を出てから、確認しないでいられなくなることもあるし、 車に乗って出発してから、戻って確認したこともある。 点検したときはそれでよかったはずなのに、 ちょっと気になり始めると悪い想像ばかりになってしまうのである。 で、点検に戻ってみると、何のことはない、平和そのものである。
小説の主人公はこんな程度ではない。 けれども、作者がこういう人物を描いたということは、 偏執的に火の始末を気にする人間が私以外にも少なくないということだ。 私以上に甚だしく気に病む人もいるということなのだろう。 私はある時、自分のそういう性向を異常に思ったこともあった。 火の始末だけでなく、学校の戸締まりに関してもこんな風だったのだ。 けれども、この小説の主人公ほどになると異常な精神的病であるならば、 私のは、用心するに越したことはない、という程度なのだ。 そして、同類が世の中には案外たくさん存在するに違いないのだ。 そう考えると、いくらか気が楽になった。 自分の性向を気に病むことなく、気が済むまで点検すればいいのだ。
この4日間に読んだ奥田英朗の2冊の連作集には、そんな効用もあるようだ。
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