TENSEI塵語

2005年08月11日(木) 「山妣」読み終わる

ぜんぜん読めない日も多くて、20日以上もかかってしまった。
読んでいても、なかなかページを次々にめくるような読み方はできない。
明治末期の越後の奥深い山村や山間の生活が描かれているので、
情景をイメージするのに骨の折れることが多い。
セリフの部分になると、方言が使われているので、
時には繰り返し読んで、意味をとらえ直さなければならないこともある。
しきたりや慣習についても馴染みの薄い事柄が多い。
文章自体はたいへんわかりやすく綴られているのだが、
そうしたさまざまの難解な材料が散りばめられているので、
これでもしお堅い文章を書く作者だったら、さっさと投げ出していたろう。
きょうは午前中に残っていた150ページほどを一気に読んだ。

最初は「やまんば」という化け物をめぐる話かと警戒しながら読み始めたが、
そういう話ではないことが、第2部から第3話の最初ではっきりする。
題名には「やまんば」でなく、「やまはは」とかながふってある。
「妣」という字を辞書で調べてみると「死んだ母」という意味である。
しかし、この小説の「山妣」は死んでいるわけではない。
読み終わってその意味を考えてみると、
「人間であることを忘れて山でひとり生き続ける母」ということだろうか。

「死国」のような幽霊みたいなものが出てくる話ではなくて、
希望なき運命に墜ちた普通の人間たちの生き様を描いた話であった。
普通の人間といっても、まずちょっと不思議な人物が2人いる。
両性具有の舞台役者涼之助と、
村の地主の一人息子鍵蔵の後妻てる(正体不詳)なのだが、
この2人はまったく無関係な生涯を送ってきて出会いながら、実は、
山妣と噂され、山中に隠れ住んでいるいさの生んだ子なのだった。

いさは、かつて遊女生活から抜け出すために、金を盗み、人を死なせ、
一緒に逃げてくれるはずだった文助に金を持ち逃げされ、
山中に身を隠して暮らすしかなくなった女である。
一度死にかけた時に助けてくれた、山を渡り歩いている重太郎という男に、
山の中で生きる知恵や獣の解体法などを教わり、一人で生きてきた。
その重太郎は、涼之助が生まれたとき、山の神の怒りに触れたのだと、
いさにも見せずに涼之助を抱いたまま姿を消した。
そして、東京の役者扇水に涼之助を託した、という経緯である。

下巻(第三部)では、村人たちの熊狩りを中心に、
涼之助の旅立ち、文助の金鉱脈探しが絡まり、痛々しい死が続く。
文助が死に、てるも死に、鍵蔵も死ぬ。
熊に囓られ食われしての、凄絶な死である。
盲目の瞽女琴まで死なさなくてもいいではないかと、一瞬作者を恨んだ。
気立てのよい無邪気な娘を、誤解の鉄砲で死なせるとは残酷な作者だ。
しかし、琴はささやかな快楽の中で、涼之助に阿弥陀さまとの出会いを感じ、
悦楽の中で死んだので、今後、煩悩に苦しみながら旅を続けるよりは、
この突然の死の方が幸福だったのかもしれない。

下巻の光は、いさの母としての姿だろう。
母親らしい言葉をかけるわけでもなく、きわめて無愛想である。
人間としての感情表現も言葉のかわし方も忘れてしまっているかのようだ。
24歳(?)にして初めて母に会った涼之助も、何日も過ごしていながら、
山妣であるいさを母とはなかなか認めることができない。
餌だけを与える親であるに過ぎない。
母親としての心も長年の間に捨ててしまっているのであろうか。
涼之助が旅立とうとする朝も、出かけてしまっていて別れも告げられない、、
実に素っ気ないように見える、、、
しかし実は、出かけていく涼之助を追ってずっと見守っていたようである。
琴が撃たれ、涼之助が危険な目に遭うときから、我が子を守る母となる。

そして、涼之助が改めて旅立とうとする場面である。(行空きは中略)

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「いいのかい。私が行っても」
娘を亡くした後だ。置き去りにするようで、気が進まなかった。
「気にするな」
いさは、魂もなにもかも抜けでてしまった表情で言った。

「それじゃあ、、、」
涼之助が北に向かう雪道を指さして口ごもると、いさは唇を結んで頷いた。
何か言葉を探すように視線を彷徨わせていたが、やがてそっと片手を上げた。
土や血のついた掌で、涼之助の頬に触れた。獣の臭いがぷんと漂った。

いさは大きく息を吸った。そして涼之助の頬から手を放すと、
くるりと背を向けて、斜面を登りはじめた。
さよなら、とも、達者で、とも、いわない。
ただ、ゆっくりと檜の混じる木立のほうに歩いていく。


道が山襞の向こう側に曲がってしまう前、涼之助は後ろを振り返った。
山の斜面が輝いていた。ところどころに枝を張る木々。
踏み荒らされてでこぼこした雪道。
周囲に視線を走らせたが、いさの姿は見えない。
帰ってしまったのか。
がっかりして、また前を向こうとした時、山襞のせりだした部分に、
一本の木が見えた。清々しいまでに白い幹を伸ばす樺の木だ。
根の下は雪があまり積もらずに、洞になっている。
その暗がりに、ちんまりした影があった。
知らない者ならば、ぼうぼうの髪や見にまとった毛皮にだまされ、
一頭の羚羊だと思ったかもしれない。
だが、それはいさだった。山の風景の一部となったように、
身じろぎもしないで、涼之助を見下ろしている。遠すぎて、
その表情まではわからないが、食い入るように涼之助を見つめている。
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