最近は5時ごろに帰路につき、スーパーで買い物などする必要がなければ、 帰宅前に近所の喫茶店に寄って、1時間近く読書する。 この店は、外の光がふんだんに入り、たいへん明るい。 老眼が進んで難儀することの多い私にも、たいへん字が読みやすい。 ここで、本を読むしかない時間を過ごすのは、1日の楽しみのひとつである。 家に帰ってしまうと、やるべき選択肢がいくつもあって、 なかなか読書に専念というわけにはいかなくなる。 週刊誌を何冊も買わないで、コーヒー1杯で読みあさるのと違って、 自分で買った本を持って、それを読むだけのためにコーヒーを頼むのは、 これは一見むだな贅沢のようにも感じられるのだけれど、 友人とゆっくり話したいときに喫茶店に入ったりするのと同じで、 著者とゆっくり対話したいから、こういう場も貴重になるわけだ。
最近読み継いでいる小説は、板東眞砂子の「山妣」である。 同じ作家の「死国」を4年前の11月17日に読み終えて書いているが、 その作品には感心したものの、ホラーは嫌い、ということで敬遠していた。 今回、「山妣」の本を手にとって見たら、表紙に怖い絵は描いてないし、 読み始めてもあまり怪異に恐れおののくこともないので(笑)、ほっとして 読み進めているが、その代わり、すさまじくテンポが遅い。 最近読んでいた小説は、たいていテンポが速く、場面転換も鋭いものが多く、 この悠長な筆致は久々の感触である。 しかし、明治末期の新潟の山村の生活や、鉱山の遊女の生活など、 まったく縁のない世界が、ありありと想像の世界で映像化される。 こうして、「死国」の時と同じく、「死国」とは違った手法で、 じわじわと作品の世界へ引きずり込まれて行くのだ。
きょう読んでいたのは、第2部の中程である。 遊女の登場する物語をいくつも読んだことがあるけれど、 その生活の悲惨さを、これほど強く感じたことはない。 ゾラの「居酒屋」やパールバックの「大地」に出てくる人々や、 「レ・ミゼラブル」のファンティーヌに匹敵する悲惨さを感じてしまった。 なぜ彼女らはこんな境遇に耐え得たのであろうか、という驚きである。 そんな思いに身を沈めつつ、読み継いでいるわけであるが、 物語についての感想はもちろん読み終わってからにしよう。
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