TENSEI塵語

2005年07月28日(木) 帰路の読書

最近は5時ごろに帰路につき、スーパーで買い物などする必要がなければ、
帰宅前に近所の喫茶店に寄って、1時間近く読書する。
この店は、外の光がふんだんに入り、たいへん明るい。
老眼が進んで難儀することの多い私にも、たいへん字が読みやすい。
ここで、本を読むしかない時間を過ごすのは、1日の楽しみのひとつである。
家に帰ってしまうと、やるべき選択肢がいくつもあって、
なかなか読書に専念というわけにはいかなくなる。
週刊誌を何冊も買わないで、コーヒー1杯で読みあさるのと違って、
自分で買った本を持って、それを読むだけのためにコーヒーを頼むのは、
これは一見むだな贅沢のようにも感じられるのだけれど、
友人とゆっくり話したいときに喫茶店に入ったりするのと同じで、
著者とゆっくり対話したいから、こういう場も貴重になるわけだ。

最近読み継いでいる小説は、板東眞砂子の「山妣」である。
同じ作家の「死国」を4年前の11月17日に読み終えて書いているが、
その作品には感心したものの、ホラーは嫌い、ということで敬遠していた。
今回、「山妣」の本を手にとって見たら、表紙に怖い絵は描いてないし、
読み始めてもあまり怪異に恐れおののくこともないので(笑)、ほっとして
読み進めているが、その代わり、すさまじくテンポが遅い。
最近読んでいた小説は、たいていテンポが速く、場面転換も鋭いものが多く、
この悠長な筆致は久々の感触である。
しかし、明治末期の新潟の山村の生活や、鉱山の遊女の生活など、
まったく縁のない世界が、ありありと想像の世界で映像化される。
こうして、「死国」の時と同じく、「死国」とは違った手法で、
じわじわと作品の世界へ引きずり込まれて行くのだ。

きょう読んでいたのは、第2部の中程である。
遊女の登場する物語をいくつも読んだことがあるけれど、
その生活の悲惨さを、これほど強く感じたことはない。
ゾラの「居酒屋」やパールバックの「大地」に出てくる人々や、
「レ・ミゼラブル」のファンティーヌに匹敵する悲惨さを感じてしまった。
なぜ彼女らはこんな境遇に耐え得たのであろうか、という驚きである。
そんな思いに身を沈めつつ、読み継いでいるわけであるが、
物語についての感想はもちろん読み終わってからにしよう。


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