見た感じとか、現在こうであるという結果的現象とかと、 当人の内面とか、現在に至るまでの経緯とかとの間には、 案外さまざまな食い違いがあるものである。 そうやって目に見えるものからだけではわからない部分を誰もが持っている。 だから人間というのはおもしろいのだし、 小説というものが飽きることなく生産され続け、読まれ続けるのだ。
たとえば、私自身についても、さまざまな誤解がある。 教師だから小さいころからよく勉強し優秀だったと思っている人もいるし、 国語の教師だから、国語の得意な少年だったのだろうというのもあるし、 少年時代からずっと読書の虫だったろうから図書主任が適任だろうとか、 そういうのはみんな現在から勝手に想像した誤解である。 13歳までは国語の授業は苦痛だったし、16歳までは読書嫌いだったし、 18歳までは勉強嫌いで好きなことしかしない怠け者だった。 何か、ものの弾みで方向転換しながら、今、エラそうに教員面してるが、 (できてないかもしれない(=_=;)、、、でも、 「先生は優秀だから」なんて気恥ずかしいことを言われるもんなぁ、、) もしもタイムマシンであの頃に戻って、私の少年時代を見ることができたら、 そこに見られるtensei少年は、身勝手で短期で、ろくにものも考えず、 怠け者で遊んでばかりいるアホな子どもであるはずだ。
こんな誤解もある。 私が、食料品の買い出しや夕飯作りを始め、いろんな家事をやっている、 そんな話を聞いて、家族思いで家庭的な人間だと評する人が案外多い。 中には、奥さんの尻に敷かれた悲惨な生活だと評する向きもある。 確かに私は家族を粗末には扱ってないけれど、ぜんぜん家庭的ではない。 太宰が「桜桃」という小説で「子どもよりも自分が大事」と言っているが、 (この小説自体は愚痴っぽいだけのような気がしてあまり好きではない) 私もある意味ではその類で、家庭よりも自分が大事、である。
夕飯をさっさと作るのは、早くビールを飲みたいだけのことである。 妻が帰るのを待ち、夕飯作るのを待つなんてことができないからである。 私が作るのはビールのつまみであって、それを4人分に拡大しているだけだ。 作り終わったときか、もうすぐできあがるあたりで飲むビールの一口目こそ 1日のもっとも幸福な時間かも知れない。 その日によっぽど格別いいことがなければ。。。 たいていは、このビールのために毎日仕事に行っているようなものである。 買い物に走るのも、これに困らないためでしかない。
夕飯ができあがったころに全員集まることもあるし、 食べている途中で全員集まることもあるし、 食べ終わってもまだ娘がかえっていないこともある。 どんなパターンであれ、私は食べ終わってちょっと経つと、自室に上がる。そうして、ほとんど自室にこもって自分の生活をする。 家族と共に過ごす時間はほんのわずかである。 時折階下に降りて顔を合わせれば言葉を交わすし、 居間のTVがおもしろそうな番組だったら、しばし一緒に見ることもある。 けれどもたいていは、家族から離れた自分の時間を尊重する。
そろそろ睡魔と酔魔に疲れてきたので、きょうはこの辺にしとこっと。
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