| 2005年06月26日(日) |
Mr.インクレディブル |
試験作りが済んだので、午後、久々に映画でも見ようという気になった。 2週間以上も前に届いていて気になっていた「Mr.インクレディブル」を見た。 ディズニー&ピクサーのCGアニメである。 先月、い〜でじ!シネマのデイリー・ランキングで、 連日購入(予約だけど)1位を続けていたので、予約しておいたのだ。
特に、後半に展開されるスピード感いっぱいのアクションから目が離せない。 実写風の画面だが、アニメなので、実写よりも自在な表現が可能である。 主人公のボブ(元スーパーヒーローのMr.インクレディブル)は、怪力。 妻のヘレン(これも元スーパーヒーロー)は、体が自在に伸びる。 3人の子どもたちも特殊能力をもって生まれてきている。 長女のヴァイオレットは、透明になれるし、シールドを出せる。 長男のダッシュは走るのが速い、、水上さえ走れるほどに。。。 この四様の超能力を駆使してのアクションシーンが続くのだから、 めまぐるしい展開の中で驚きの連続を味わうことができる。
実はこの4人、15年前のスーパーヒーロー廃止制度により、 〈平凡な市民〉たることを義務づけられ、鬱屈した毎日を送っていた。 ボブは、保険会社の査定の仕事をしながら、弱きを密かに援助しつつ、 利潤追求一点張りの上司には叱られながら、イライラ毎日を過ごしている。 子どもたちも、能力を隠さねばならない掟のために、屈折してしまっている。 ヴァイオレットは、髪で顔の大部分を隠して、陰気な少女である。 ダッシュは、走るのが速すぎることを隠すためにスポーツを禁じられ、 ちょっとしたいたずらをしては、教師の叱責を受けたりしている。 そんな3人を抱えて、まだ赤ん坊のジャックジャックを育てながら、 家族全員が〈平凡な市民〉として平穏に暮らせるよう、 ヘレンは家族を守るために、専業主婦として、母として苦労している。。。
しかし、ボブは誘惑に乗り、再びスーパーヒーローとして生きようとする。 それはある人物の計略によるものだった。 そのボブの闘いに、3人の妻子も加わることになる。 子どもたち2人も、今まで禁じられていた能力を存分に発揮する。 その苛酷な戦いを通して得られたものは、家族の団結だけではない。 それぞれの、ひとりひとりの、自信、そして自立、である。 各自が自立できてこそ、絆も深まるのだ。 ヴァイオレットは顔を隠すことをやめ、デートの申し込みも巧妙に受けた。 ダッシュは、競技会に参加し、短距離走を自在に調整して2位でゴールした。 スーパーヒーローの闘いを経て、4人の〈低凡な市民〉としての生活が、 以前よりももっと幸福に再開されたようである。
これだけ見てもなかなかいい展開である。 しかし、この物語の大筋にはもうひとつ意味深い要素がある。
ボブをだまして誘惑し、戦わざるをえない状況にした悪者は、 スーパーヒーローMr.インクレディブル時代に弟子になりたがって拒否された ひとりの青年だった。 彼は、自身には何の特殊能力もない。 それでMr.インクレディブルにも拒絶された(危険だから)わけだが、 今回の件は、15年かけた彼の復讐劇だったわけである。 自分のロボットを作り、元スーパーヒーローを呼びだしては闘わせ、 元スーパーヒーローを一人一人抹殺しつつ、無敵のロボットへと改善する。 それを都市部に送り込んで、他ならぬ自分自身がそのロボットをやっつけて 自分こそがスーパーヒーローとしての栄誉を得ようという目論見である。 これがどんな結果になるかは、今ここに書かない方がいいだろう。
個々の自立こそが家庭の絆、とか、 愛を受け入れられなくて憎しみ転じる愛憎の問題とか、 そういったことがかなり的確に表現されていた映画だと思う。
それにしても、最後の方でちょっと特殊能力に目覚めたジャックジャック、 何だか、この無邪気に笑うあかんぼうが一番怖いような感じだ。
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