| 2005年06月17日(金) |
教員評価制度(その2) |
今夜はちょっとした宴会があり、 (そういう場合でも、ちょっと時間があれば夕飯の用意をしていくのだ) 4月に転勤して行った教頭ともいろんな話をして、 その中で教員評価制度の話もあって、それが刺激となって、 帰路いろいろなことを思いついた。
ちなみにこの教頭は、同じ国語科だけあって、発想はよく似ている。 ただ、柄にもなく教頭になってしまったために、 公の場ではしゃちこばったことしか言えなくなってしまっただけだ。
まず、教員評価制度を、目標ー達成を中心に行っていくつもりならば、 習熟度別クラス編成は撤廃すべきだろう。 しかも、各クラスのレベルをまったく同じに編成してもらわなければ困る。 同じ目標を設定し、ラクなクラスを受け持った人がAで、 困難なクラスを受け持ったらDではあまりにも不公平ではないか。
同じ理由で、学校間の格差も、限りなく平等にしてもらわないと困る。 従順でお利口さんの集まる学校だったら、成果をあげるのは簡単だ。 反抗的で怠けもんの集まる学校だったら、成果を上げようと努力すれば するほど、泥沼状態に陥ったりする。
評価判定方法を同じにするなら、土俵も同じでなければならない。 土俵の違いというものを公平に考慮できる校長がどれだけいるか、疑問だ。
たとえば、昨日の職員会議でこんなことがあった。 火曜日に授業開放(参観授業)があり、参観者のアンケートの声を 逐一羅列したプリントが早々に配られた。 こういう出し方をすること自体、大いに問題にしたいところであるが、 どうやら、校長が、1年生の指導が手ぬるいということを言いたいために、 性急にこれを出させたようである。
毎年同じ生徒が入学してくるわけではない(あたりまえだ)。 今年の1年生は、一昨年の1年生とも違うし、去年の1年生とも違う。 それにまた、去年も一昨年も教科担任によっては無法状態の授業もあった。 校長が信頼しているに違いない教務主任の授業さえ惨憺たるものだった。 (この事務屋の教務主任は、事務能力にはなかなかの能力があるようだが、 授業でも何でも、恐ろしいほど生徒の実状を見ていない) ところが、先日の参観授業に2、3の保護者が書いていたことを見て、 さっそく職員会議で激怒!!である。 短絡的な校長だ。 たまたま昨年は、困った授業が参観されなかっただけかもしれないし、 わざわざそういうことを書く人がいなかっただけかもしれない。 公平に眺めればそれだけのことだ。
さらにその内実に言及するならば、アンケートの槍玉にあげられたのは、 非常勤講師による家庭科の調理実習である。 予想していたよりも楽しそうに授業していたが、 生徒の態度がひどく、小学生以下のように見えました、とかいう内容だった。 ひどいのはもちろん一部の生徒だろう。 そんなことは、大いにありうることである。 私の授業はだいたい生徒は整然としているけれど、それでも、 昨日は1度「こら! そこの小学生!!」などと叱らなきゃいけなかったし、 グループ別の研究・討議など、無法状態になるのが不安でさせられない。 一斉授業の拘束から解かれたら何しでかすかわからないものである。 まして、調理実習のような動きのある活動となるとたいへんだろう。 今の1年生には、授業中でも勝手に立って歩く生徒がいるというから、 私が2年間見てきた生徒たちとは違う雰囲気が作られているはずである。 また、そのコメントを書いた保護者は小学校か中学校でも調理実習を参観し、 それとの比較で「小学生以下」という酷評をしたのかもしれない。 しかし、小・中学校ではほとんどの親が参観しているのである。 日ごろ暴れ回って担任をさんざんてこずらせ、かき回している子どもでさえ、 親が見ている前で暴れ回ったりはしないものである。
何はともあれ、短絡的判断というのは禁物である。
この短絡的な校長の目標は、(だんだん校長評価の話になってきた) 定員割れを起こさせない、である。 この目標のために、彼は近隣で行われている進学のための学校行事を すべて導入しようとする。 それが、在校生の実態に合っているかどうかはお構いなしである。 判断の根拠は、生徒の指導に現にあたっている教員の意見ではなく、 近隣の中学校の管理職の意見である。 また、その目標達成のために、学校中歩いて授業や部活動を見て回り、 登下校時の生徒を監視して、自らも注意して回る。 これは、校長室にこもって生徒をほとんど見ることのない校長に比べれば、 なかなか感心なことだと、私は思っている。 けれども、そこにしばしば大問題が生じる。 生徒の事情や、指導過程をまったく配慮せずにやみくもに叱ったりするので、 あとで担任等々がいろいろと苦労させられたりもするのである。 彼の目標は、定員割れを起こさないために、 外からの見てくれをよくすることにかかっているので、 目の前の生徒の内面などはどうでもよい。 功を急ぎすぎて、許可されていることなのに生徒を激怒したことさえある。 俺がいないと学校はよくならんと悦に入っているかのようである。 去年も、あの校長おかしい、もう学校に来たくなーい、という声を 何度聞かされたことか。。。 こんな〈悪評〉を生徒が中学生に吹聴したら彼の努力も台無しになりそうだ。
「目標設定−成果」ということにこだわる弊害はこういうところにある。 画一性・一貫性というものは、確かに公教育では重要である。 しかし、画一性・一貫性にしがみついてしまっては教育できないものである。 相手は人間だからだ。 しかも未成熟な人間だ(我々もまた、相変わらず未成熟だ)。
やっとこさきょうの本題に入ってきたところだが、さすがに疲れた。。。 また続きを書こう。
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