TENSEI塵語

2005年04月12日(火) 昨日の続き

そもそも、教員評価制度なるものの話題が出始めたころから、
誰がどう評価するんだ、評価する資格のあるやつはいったいどこにいるんだ、
いったい何を基準に評価するんだ、どんな面をどのように見て評価するんだ、
いつ、どうやって、そのようなつぶさな観察を一人一人についてできるんだ、
目立たぬ労苦をやめて、派手なパフォーマンスや宣伝に努める教員が
増えるだけではないのか、、、等々、批判的な疑問ばかりであった。

昨日出た試行案は、立派な冊子として製本されたものだ。
かなり入念な配慮で作られた自信作のようである。
その方法の基本は、個々の教員が、目標を自己申告しておき、
その達成度について自己評価して提出後、校長が最終評価するというものだ。
その過程には、校長面談や、教頭の途中評価、教員の中間報告などもある。
書き方の例や、特に評価の基準例など、さまざまに例示されている。

あーなるほど、この手できたか、と一面では感心した。
こんな案が出るとは夢にも思っていなかったからだが、
学校評価制度と関連づけてみれば、当然出てくる短絡的方策ではないか!
学校評価制度の試行は、目標についてそれが達成されたかどうかを、
アンケートによる数値を羅列するだけで終わってしまった。
私はそれを、ひとつの実態調査的な意味は認めはするけれど、
学校全体の教育活動を評価するという点では実に皮相だと思った。
しかし、そういう点での反省がなされないまま、
この4月から県下の全ての高校で、モデルのひとつになっていると知って、
恐ろしい思いがした。

今回の教員評価で目標設定は2つだということである。
たとえば、担任としてはこうで、分掌としてはこう、という風に。。。
目標設定自体には文句を言うつもりはない。
ほとんどの教員は、担任になれば、こういうことをしてこうなって欲しいと、
書かないにしても、ちゃんと目標を持つものだし、
授業についても、分掌についても、部活についてもそうである。
そんなことをいちいち書いて提出させて校長らに評価させようなどいう、、、
俺たちは小学生か!! とまずこの扱いに腹立たしさを覚える。
まるで、小・中学校の総合学習みたいな扱いである。

そして、そんなことで教員の教育活動を評価するらしいのだけれど、
目標達成なんてのは、日々の教育活動の1割程度だと考えていいだろう。
むしろ、そんなたった2項目の目標とは関わりのない突発的できごとに
その都度対処していくのが我々の仕事なのだ。
ひとりひとりの生徒にちゃんと目を向ければ、
総括的な目標なんてものはどうでもよくなるのが当然である。
2項目の目標達成にがんばりすぎるあまり、個々の生徒を見る目が
おろそかになり、目標以外の仕事が、校長には気づかれぬ範囲でおろそかに
なるとしたら、この制度は大失敗になるはずだが、
最初はよくても、何年かこういう制度が続く中では最悪の状況が訪れるに違いない。

こういう方策を、我々の上司たちは、企業に学んだのだ。
商品を売って利潤を上げる厳しさの中で格闘する企業に学んだのだ。
現場を忘れた事務屋の彼らには、そういう断行が自慢かもしれないが、
現場にいる我々にとって、我々の仕事の対象は商品ではないのだ。
彼らは、生徒たちを、大学や企業に送り込む商品と思っているかもしれない。
また、生徒の親たちを授業料を払ってくれる商品と思っているかもしれない。
けれども、我々の仕事の対象は、生徒の心なのである。
そして、その心に対し、口車に乗せて商品を買わせるような、
そんな安易な心情操作を施すわけにもいかないのである。
だから、我々の現場にもっともそぐわない制度を、
我々の上司たちは導入したいと躍起になっており、
それがまた、彼らの自慢のタネになっていこうとしているわけである。
実に恥ずかしい話である。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]