TENSEI塵語

2005年03月07日(月) ふられ男の心理

好きで好きでしょうがない女性が、自分から離れていこうとするときに、
何とかそれを引き留めたいと思い、一縷の望みにかけたい気持ちはわかる。
離れていくのを憎く思い、またそれゆえに執着する気持ちもわかる。
またその女性を奪っていく男を憎悪する気持ちもわかる。
もうダメだとわかっていても、諦めきれない気持ちもわかる。

しかしそれは、その女性がある時期自分の方を見ていた場合であろう。
だから、冬ソナのサンヒョクとか、夏の香りのチョンジェは許せる。
サンヒョクはハンガーストライキまで打ってユジンを取り戻そうとし、
チョンジェは、長かったつきあいを盾にミヌを遠ざけようとした。
それは、客観的にドラマを見ていて、異常な心情に思われてならない。
ユジンもヘウォンも、もう他の男に一途になっているのに、
それをむりやり自分の隣に置いて、いったいなにが嬉しいの?と思う。
そうは思うけれども、現実的には、そういう立場の男にとっては、
そんないびつなやり方でも、手放したくない気持ちは理解できる。

韓ドラを見ていて理解しがたいのは、
相手が最初から恋愛の対象としては拒絶しているのにも関わらず、
あたかも自分が最もその人を愛していて幸福にできると信じてる人物である。
今はパリ恋を再び見ているので、スヒョクを見ていて不思議に思う。
彼は、叔父(実は兄)が何でもかんでも持っている上に、
テヨンまで手に入れると憤っているけれども、
テヨンにとっては、確かにスヒョクは親切で優しい存在ではあるけれど、
恋愛の対象としては最初から眼中になかったのである。
それなのに彼は、
自分がこれだけ思っているのだからテヨンにも自分への愛を期待するし、
テヨンが自然に好きになった叔父のキジュを憎悪する。
キジュに向かって、俺にテヨンを譲れとさえ言う。
譲れと言ったって、テヨンはキジュが好きなのである。
愛する愛すると、盛んに告白もし、それらしい態度もとるけれど、
肝心なその相手の心情は無視している。
いかにも自分だけがテヨンを愛する資格があるかのように振る舞う。
それなのにそうはならないので、2人に対しさんざん憎まれ口をたたき、
ついにはキジュを失脚させるための背信行為に及んでしまう。

女性だが、夏の香りのチョンアにも同じ鬱陶しさを感じる。
ミヌが最初から恋愛の対象として拒絶しているにもかかわらず、
自分だけ恋人気取り、婚約者気取りで、当然の権利にしてしまっている。
ミヌとヘウォンが一緒にいたりしたら、
「私というものがありながらなにしてんの?!」の勢いである。

こういうのも〈一途な愛〉のひとつの形として描いているのかもしれないが、
時に過剰表現のような感じがして不自然に見えてしまうのだ。


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