TENSEI塵語

2005年02月13日(日) 「美しき日々」第9話

ミンチョル「人を好きになるって、海水を飲むのに似ている。
      飲んですぐは平気だが、そのうちやたらと喉が渇くんだ。
      飲めば飲むほどカラカラになる」
ヨンス  「私への忠告ですか?」
ミンチョル「・・僕のことだ。喉が渇きやすいんだ」
ヨンス  「私なら、海水でよけいに喉が渇いたら、海へ飛び込むわ」

うーーん、たぶんこれは新しい表現だ、、、と思った。
字幕とはいえ、こういう表現に出会えることが、
読書に劣らぬ、ドラマや映画を見る楽しみのひとつである。
ドラマや映画では、それに加えて、俳優の表情という恩典もある。
しかしその恩典は、俳優によってはかえって逆効果になる場合もある。
その点、読書の場合は言葉さえよければ裏切られることがない。
視覚的な点をほとんど限定しないから、
読む者の感性しだいで、限りなく美しく場面を構成することができる。
もっとも、「美日」のヨンスはチェ・ジウさまだから、十分だ。

こんな場面もある。
義兄弟のミンチョルとソンジェは、共にヨンスに恋している。
ソンジェは、義兄のミンチョルを、心のない人間だと思っている。
母の死からほどなくして再婚した父に対する怒りから、
長年心を閉ざして来たからである。
だからソンジェは、自分の恋のためでもあるけれど、
ミンチョルに傷つけられるのを恐れてヨンスに忠告する。
自分へのあてつけで、義兄はヨンスを引っ張り回しているだけだ、
義兄はあなたに愛してると言ったか、言わないだろう、そういう人だ、と。
その時、たしかにヨンスの表情は曇る。
今までに見てきた多くのドラマのパターンでは、
幸福なひとときの後、ここでまた疑惑へと展開するはずである。
ところがヨンスはここで笑みを浮かべてこう答える。

「室長がかわいそう。あなたまでそんな風に言うなんて。
 淋しそうに見えた理由がわかったわ。
 私は自分が見た姿を信じるわ。誰が何と言おうと、自分が感じたままを」

そっかー、これがあの終盤の展開につながるんだ。
この回のあたりは、まだ週1回のTV放映で見ていたから、忘れていた。


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