TENSEI塵語

2005年01月06日(木) 戦後日本 還暦

たまたま風呂上がりにチャンネルを回していたら、
筑紫哲也と吉永小百合の対談が始まり、戦後日本が還暦という話題だった。
そういえば、、、そうか、、、と2005年という数字を思い出して、
1945年で引き算してみると、確かに今年は戦後60年目である。
お爺ちゃんおめでとう!! と祝うべきであろうか?
ちなみに、吉永小百合は終戦の年に生まれたそうだから、同じく還暦らしい。
しかし、このあまりに若く美しい顔を見て、
おばあちゃん、還暦おめでとう、などとはとても言う気になれない。
映画でも苛酷な役を演じているようだし、原爆の詩の朗読も、
もう10何年か続けているはずである。
見た目は確かに若いが、若さはそれだけでがなさそうだ。

戦後日本は、赤いちゃんちゃんこの似合うお爺ちゃんになってしまった、
かもしれない、、、あくまで、かもしれない、であってほしい。
私は、終戦後11年目に生まれている。
今年の誕生日で49才(え? 始終臭い? イヤな歳だ)になる。
だから大ざっぱに言えば、戦後日本や小百合さまの10才年下である。
実質は、小百合さまの方がよっぽど若いかもしれない。

レッドパージや朝鮮特需は、戦後日本幼児期にあたる。
レッドパージは、年寄りたちから駄々っ子とみなされお尻ぺんぺんされ、
朝鮮特需は、大人にすりすりしてお年玉をせしめた、といったとこだろうか?
60年安保は15才、若かった!!(映像で見たことがある)
70年安保は25才、まだまだ血気盛んな青年と言ってよい。
しかし、青年期の挫折は、将来にどう影響するのだろうか、、、?
それでも何とか、とがんばり続けて夢をつかむ生涯もあれば、
心の片隅にまだ野心のくすぶりを残しつつ、消沈する生涯もある。

私は75年頃から80年過ぎにかけて大学にいたが、
学生運動というのはもう名残かくすぶりの状態であった。
私自身が、大学生活7年間の終盤まで政治に関心なく過ごせてしまった。
戦後日本も、そのころは30才過ぎて、分別くさくなりつつあった。
心の中には、これでいいのか、というささやきを聞きはするけれど、
なるようにしかならない思いと、自己保身の時期に入ったようである。

それから20余年、、、戦後日本は老人性痴呆症への道を歩んでいる。
ファシスト小泉や石原を熱狂的に迎える世間に、私は身震いした。
何で?何で?何で?何で?何で? と不思議でならなかった。
しかし、そんな私も、最近は、政治的呆け老人の道を歩み始めている。
まーいいや、お好きにどうぞ、と思い始めたらもうおしまいなのである。


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