起きたら初雪が降っていた。 ゴミ袋4つ出す間に、初雪の洗礼を受けた。
昨夜は、「24」を見終わって、この塵語を書いていたら、睡魔に襲われた。 ただでさえ書きにくい。 これから見る人のために(はっきり特定できるのは橋本さんだ)、 あまり内容を明かすわけにはいかない。 驚きの展開であればあるほど書きたくなるが書いてはいけない。 それだけでなく、昨日は台所とトイレと風呂の掃除にかなりの労力を使った。 そんなわけで、ぐずぐずと書いているうちに、疲労に負けたようだ。 それで、今朝、昨日の分に少し書き足しておいた。
「24」の1作目を見たのは去年だと思いこんでいたけれど、今年2月だ。 season 2は5月だった。 この寿命を縮めるドラマを1年に3つも見てはいけない、危険だ。
「冬ソナ」を見ていたのは4月から5月にかけてだった。 これもまた極度に夢中にさせてくれた。 しかし、私などまったく相手にならないほどの熱狂的ファンが、 今なお増殖中である。 「冬ソナ」をきっかけに、文化交流が進み、経済にも異変をもたらし、 自然な心からの友好的雰囲気が漂いつつあるが、 政府もそれに乗じてアジア諸国との友好を推進するわけでないのが残念だ。
「冬ソナ」を見始めたきっかけは、 たまたまTVのチャンネルを変えている途中に出くわした結果で、 その時私が熱心に探していたのは、イラク人質事件の報道であった。 今年は自衛隊本格派遣に始まり、日本の平和主義への不安を抱いていたら、 4月の人質事件で、その不安はますます大きくなってしまった。 あれ以来、可能なはずだった支援活動がどれだけ損なわれたことだろう。 あれで明らかになったのは、戦争協力以外眼中にないという首相方針だ。
本もまぁまぁよく読めた。 8月の「ダ・ヴィンチ・コード」が白眉だった。 「24」並みのハラハラドキドキだけでなく精神的にも大変革をもたらした。 長年のキリスト教への漠とした疑問を整理するきっかけになったからである。 3、4冊ほど参考文献を取り寄せたが、まだ1冊半ほどしか読んでない。 来年はがんばってまとめてみたいものである。
それにしても、11月に読んだ「電車男」は画期的な本だった。 自然発生的に生まれながら、笑いと感動に満たされていた。 しかし、こういう作品(?)が今後も作られるとは思われない。 その前後に読んでいた村上春樹をこれから読み続けていきたいものである。 かつてそう思った時期はいろいろ忙しくて、そのまま忘れてしまった。 「アフター・ダーク」がいいきっかけになった。
ホームシアターの設備も安価で整えたし、 ビデオ録画をやめるべく、HDやDVDに録画できる環境も整えた。
こういうことも、要は、さまざまな点で図太くなったということだろう。 心のゆとりを得るためには、さまざまな懸念を切り捨てる図太さが必要だ。
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