TENSEI塵語

2004年12月23日(木) ゆとり教育

あれは何日前だったか、、、1週間ほどまえだったろうか、、、
国際学力試験とやらで、日本の小・中学生の結果が思わしくなくて、
学力低下が問題視され、その原因をゆとり教育のせいであるかのように
報道していたのは。。。
現文科相が、ゆとり教育の敗北とか見直しとかTVで話していたが。。。

週休2日にして教科書の内容を削減した、それを「ゆとり教育」と呼んだ。
子どもたちにとって、休日が増え、教わる内容が減ったのだから、
子どもたちにとっては確かに時間的なゆとりがもたらされたと言える。
しかし、教育全体にとっては、決してゆとりなどもたらされなかった。
週5日間の密度は基本的に変わらない、いや、寧ろ過密になった。
学校行事の設定や、その準備も、実に窮屈になった。
その上、授業時間の確保ということにますます厳格になるだけでなく、
1日あたりの授業時数を増やす学校も多かった。

話を義務教育の方に戻そう。
週休2日にし、教科書の内容を削減したところで、
決められた時間内に計画的に授業を進めなければならないことは変わらない。
学校行事やその準備で授業がつぶれても、
残った時間で駆け足でノルマを果たさなければならない。
わからない子がいても放っておいて先に進まなければならない。
小学校など、ほとんど1クラスあたり1人の教員しかいないから、
膨大な雑務を抱えているし、物騒な世の中になって一斉下校が増えたから、
居残り学習もままならない。
授業中など、30余〜40人の生徒に教員ひとりでは、
授業中に、理解の遅れた子どものケアなどできるものではない。
ただでさえ、落ち着きのない子どもが増えていて、
授業を何とか進めるのが精一杯という状況も少なくない。

妻の勤める小学校では、1〜2人の自閉症児を含んだクラスがいくつかあり、
症状が出たときには、もう授業どころではなくなってしまうそうだ。
教育委員会が専門医と共に視察に来て、相談にのる日が年に1回あるが、
必要なのは相談でも視察でもなく、
その子にかかわっている間、クラスを見ていられるだけの要員だという。
自閉症児でなくても、最近はキレやすい子どもが多い。
暴れたりわめいたりするのをなだめなければならないし、
帰っていこうとする子どもを追いかけなければならない。
その間、授業も他の子どもたちも放っておかなければならない、
助っ人となるべき余分な人員がないからである。

「ゆとり教育」と呼んではいたものの、見かけの時間的なものに過ぎず、
きわめて表面的なゆとりでしかないのだ。
質的には何らゆとりはない、いや、むしろ質的には窮屈になる一方だ。
絶対評価に伴う観点別評価だの、学校評価制だの教員評価制度だの、
くだらん指示がいっぱい降りて来るではないか。
肝心なことはまったくできないくせに、些末な間違ったことばかり、
教育現場に押しつけているではないか。
その一方で子どもたちは、ますますゲームや漫画やTVにのめり込んで
時間的なゆとりを満喫するか、
将来の実利的な学力を求めて、詰め込み塾に通わされるか、、、である。
まあ、子どもたちの学校離れ的要素を周到に準備したようなものでもある。

私はもともと、教員の週休2日には賛成でも、
現状の学校制度のまま、子どもたちまで週休2日にすることには反対だった。
けれども、土曜日の授業を残したままで教員だけ週休2日にするのは、
高校では可能であっても、小・中学校では不可能に思われた。
週休2日が教員だけにしろ、子どもたちもそうするにしろ、
いずれにしても、まずは教員数を増やさなければどうしようもないと思った。

ゆとり教育の第1歩は、教員を増やすことである。
小学校の教員定数は、あらゆる点で無謀な少なさである。
クラス数の1.5倍から2倍の教員数にするだけでなく、
1クラスの生徒数を20人以下にすべきであろう。
莫大な増員で、莫大な費用になるだろうが、断行してもらわなければ、、、
そして、小学校の3年生からは教科担任制にすべきである。

質的なゆとり教育であれば、学力低下は引き起こさない。
けれども、ケチケチ教育政策者たちにはこんな頭はない。
あんなものを「ゆとり教育」と信じて、敵視し、見直すなどと言っているが、
さて、いったい今後何を言い出すのやら、、、?


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